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川村 万梨阿(かわむら まりあ、1961年11月21日 - )は、東京都世田谷区出身の日本の女優、声優、歌手。所属はフリー。かつてはアーツビジョンに長く在籍した。本名は永野 繁代(ながの しげよ)。 身長157cm。血液型はAB型。星座はさそり座。メカニックデザイナーの永野護は夫。 == 経歴 == 中学時代に入っていた文芸部が定員割れで演劇部と合併し、演劇を体験したことから女優を志す。富士見高校入学後は、マンガ研究会に入って放送劇に参加しつつ〔川村万梨阿『私も悩んでおとなになった』ポプラ社、1998年、pp.44-52。〕、アニメファンの活動をしており、江古田にあったアニメファンのたまり場の喫茶店「まんが画廊」で、小牧雅伸、ゆうきまさみ、蛭児神建らとともに常連客であった〔吉本たいまつ「おたくの起源」NTT出版、2009年。〕。「まんが画廊」の友人の誘いでアニメ雑誌の編集のアルバイトをするようになった〔「声優インタビュー 川村万梨阿さんの巻」『月刊OUT』1983年7月号、みのり書房、pp.95-100。〕。 高校卒業後の1980年(昭和55年)に、東映の演技研修所の研修生となる。初仕事は、ワイドショー『小川宏ショー』のレポーターで、女優デビューは『太陽戦隊サンバルカン』第8話(紳士服店の店員役。本名の川村繁代名義)。その他にも東映制作のスーパー戦隊シリーズや『特捜最前線』『Gメン75』など実写のドラマに出演するなどの活動をした〔〔『マイアニメ』1984年8月号、秋田書店。インタビュー記事。〕。東映研修所を卒業し、研修所付属の東映演研プロダクションに所属。 その頃、友人の手伝いでアニメ雑誌でアニメ監督の富野由悠季を取材し、しばらくして新作のオーディションを受けるように誘われて〔電話で富野は「ああ、思った通りの声だった。よかったよかった」といったという(『富野由悠季全仕事』キネマ旬報社、1999年)。〕、1983年(昭和58年)に『聖戦士ダンバイン』(チャム・ファウ役)で声優デビュー〔『私も悩んでおとなになった』pp.68-73。〕。『聖戦士ダンバイン』の後番組である1984年(昭和59年)放送の『重戦機エルガイム』のガウ・ハ・レッシィ役のオーディションに合格したことから、声優への転身を決意し、東映演研プロダクションから設立されたばかりの声優プロダクション、アーツビジョンへ移籍する〔『私も悩んでおとなになった』pp.85-91。〕。富野由悠季作品には、その後も、1985年(昭和60年)の『機動戦士Ζガンダム』(ベルトーチカ・イルマ役)と、同枠の作品に続けて出演し、その後も高飛車・強気系統のキャラクターを多く演じ、同系統を得意とする声優として、同世代では鶴ひろみ、松井菜桜子、富沢美智恵らと共に名前が知られることになった。日高のり子はかつてラジオの中で、松井菜桜子と共に川村を女王様声の双璧に挙げている。また、松井と共に、後輩である林原めぐみに「頭が上がらない声優仲間」の1人として挙げられている。 2001年(平成13年)半ば、体調を崩し一時休養するが、この際当時担当していた『ぐ〜チョコランタン』のスプー役を降板。親交の深かった後輩声優の橘ひかりが、役を引き継ぐこととなった。 2003年(平成15年)頃、アーツビジョンの所属から離れ、その後フリーで活動。2010年(平成22年)12月現在、営業業務の一部を複数プロダクションに委託・提携している。 月刊ホビージャパン(2011年10月号でキャラの!から移籍)で『川村万梨阿&椋本夏夜の淑女的日常』というコラムを執筆している。 2014年5月10日より、期間限定公式ツイッターを始める。 2014年6月18日 歌手活動、31周年記念アルバムBOX「ΟΔΥΣΣΕΙΑ(オデッセイ)」を発売。「限定生産BOX、LPジャケットサイズ、ジャケットイラストは永野護書下ろし」 2014年10月2日 デビュー記念としてプライベートで製作した"ファッションドールmomoko"カスタムモデルの『川村万梨阿momoko』2体が、製作先のペットワークスにて写真公開した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川村万梨阿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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