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川条 志嘉(かわじょう しか、1970年1月25日 ‐ )は、日本の政治家、音楽アーティスト、シンガーソングライター。元衆議院議員(1期)。認定心理士。松下政経塾出身。 == 人物 == 3歳より大阪府大阪市在住。大阪府立北野高等学校から東京大学へ進み、当時、教養学部後期課程教養学科第一にあった人間行動学分科(後の生命・認知科学科の前身のひとつ)で視覚心理学を専攻した。 その後、シンガーソングライターを目指し、作曲家・江口浩司に師事し、フリスキーのペットの詩コンテストで、優秀賞を受賞した「うちのふくちゃん」という歌を、インディーズで発売した。第一回サンミュージック・スプラッシュドリームオーディションで歌手部門優秀賞受賞。 第20回参議院議員通常選挙に和歌山県選挙区から民主党公認で出馬〔http://www.nwn.jp/kakokizi/20040623/nimen/nimen.html〕。自作の曲「年金エレジー」を街頭で歌い、小泉改革を批判するも自民党現職の鶴保庸介に破れ、落選〔http://www.nwn.jp/kakokizi/20040717/nimen/nimen.html〕。 その後、民主党和歌山県連を離党、次期衆院選に大阪3区から無所属での出馬を模索していたが、松下政経塾を早期修了の後、自由民主党の公募に合格。第44回衆議院議員総選挙に急遽大阪2区から出馬。それまでの主張を翻して「小泉改革応援歌」を作成した〔http://www.nnn.co.jp/dainichi/kikaku/senkyo/syuin2005/gekisen/gekisen02.html〕ほか、構造改革支持、郵政民営化をはじめとする既得権益の廃止を訴え、郵政民営反対派の左藤章を抑えて当選する。 現職の時は、厚生労働委員会・経済産業委員会・文部科学委員に所属し、少子化対策や食育の議連、医療の充実を訴える議連に数多く所属し、事務局などをしていた。医療の充実、障害者自立支援法の修正改正、原爆症認定の解決や、薬害肝炎の解決にも、積極的に取り組んでいた。 「強い日本とやさしい暮らし」を、政策の柱とし、日本の伝統重視と主権の確立を柱とした、「純日本主義思想」を唱えると共に、少子化対策、厚生労働対策、特に、医療対策、中小企業対策、知的財産権の確立等や、事業承継や中小企業の活性化、商店街活性化に取り組んでいた。また、アンペイドワークと呼ばれる「家事・育児・介護などのお金では評価されない主に女性が担当している家庭内労働」の経済価値の評価を通じて、女性の地位向上と少子化対策を訴えていた。 一方で、選挙区内の自民党地方議員との軋轢を解消できず、相互不信を残したまま2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙にも自民党公認で出馬したが、左藤との間で自民票が分裂し民主党公認の萩原仁が当選。川条は票を半減させて落選した。 この選挙に関し、川条は公認候補ではない左藤を支援したとして党選挙対策本部長代理であった古賀誠を党規違反であると主張した〔http://blog.goo.ne.jp/kawajo1/e/251e54d3b0475a8d4216aea891f6167d〕。 川条の落選を受け、2010年に自民党が次期衆院選の公募を大阪2区で実施したが、川条は「左藤を復党させることが決まっているのに、公募をして形式だけ整えようとしている」と訴えた〔http://blog.goo.ne.jp/kawajo1/e/1e2ac1267434dd539f9a9b1b3f23adf3〕。2012年12月の第46回衆議院議員総選挙には大阪2区から無所属で立候補し、5人の立候補者中の5位の得票数で落選した〔毎日JP・2012衆院選・大阪2区 2012.12.17閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川条志嘉」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shika Kawajo 」があります。 スポンサード リンク
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