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川東 加代子(かわひがし かよこ)は日本の卓球選手。1977年の第34回世界卓球選手権では女子シングルスでベスト8に入った。鹿児島県出身。結婚後の姓は、濱野〔。五段。 屋久島町立神山中学校に在学した1973年、第4回全国中学校卓球大会の団体とシングルスと優勝、1974年に横浜市で行われたアジアユース選手権ジュニアの部では準優勝した。 柳川商業高等学校(現在の柳川高等学校)3年の1976年には第4回全国高等学校選抜卓球大会の女子シングルスで優勝した〔 〕 世界卓球選手権に4回出場、1977年の第34回世界卓球選手権バーミンガム大会ではシングルスでベスト8、横田幸子、枝野とみえ、菅谷佳代との団体で4位〔(第5日)日本女子 健闘及ばず4位 北朝鮮に敗れる 中国女子優勝 朝日新聞1977年3月31日朝刊17ページ〕、1979年の第35回世界卓球選手権平壌大会ではシングルスでベスト16、高橋省子・嶋内よし子・菅谷佳代との団体で3位、1981年の第36回世界卓球選手権ノヴィ・サド大会では女子ダブルスでベスト8に入った。 1977年のバーミンガム大会の女子シングルスでは、予選から出場、3試合を勝ち上がり、シングルス1回戦の出場権を得た〔菅谷は予選失格 女子単 世界卓球選手権個人戦 読売新聞4月2日夕刊6ページ〕。2回戦で世界ランク6位のイングランドを3-2で破り〔(第9日)河野、準々決勝へ 複は男女とも全滅 1977年4月4日〕〔日本男子 全ペア3回戦へ 世界卓球個人戦第3日 読売新聞1977年4月4日朝刊17ページ〕、3回戦ではスウェーデンのを3セットともジュースで取り、3-1で勝利した。身長180cmのヘルマンを倒した後、身長156cmの川東は、薬物を飲んだのではないかと、ドーピングテストを受けた〔おかっぱの柔 剛を制す 朝日新聞1977年4月5日朝刊17ページ〕。準々決勝で、中国の張立にストレートで敗れた〔(第10日)混合二組、三回戦へ 川東、四強入りならず 女子単 朝日新聞1977年4月5日 朝刊17ページ〕〔川東(女子単)準々決勝で涙 読売新聞 1977年4月5日朝刊 17ページ〕。女子ダブルスでは、横田幸子とのペアで3回戦まで進出、韓国の金順玉、李基元組に敗れた〔日本男子 河野満、準々決勝へ 世界卓球個人戦第3日 読売新聞 1977年4月4日夕刊8ページ〕。混合ダブルスでは、高島規郎とのペアで1回戦でポーランドペアに1-3で敗れた〔。 高校卒業後、1977年4月より、第一勧業銀行に所属し、日本卓球リーグの最高殊勲選手に2度輝いた。全日本社会人卓球選手権女子シングルスで優勝した。1978年、1979年と全日本社会人卓球選手権女子ダブルスで優勝、1979年には、全日本卓球選手権大会女子ダブルスでも優勝した。 全日本軟式卓球選手権大会でもシングルスで1回(1982年)、ダブルスで4回(1978年-1980年、1982年)優勝した。 現在、バタフライ卓球教室の講師を務めている。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川東加代子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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