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川畑 文子(かわばた ふみこ(本名:橘 文江(たちばな ふみえ))1916年(大正5年)6月17日 - 2007年(平成19年)1月2日)は、昭和戦前期にアメリカと日本で活躍した、ハワイ生まれの日系三世ダンサー、歌手である。 「泣かせて頂戴」、「三日月娘」、「青空」、「上海リル」、「月光價千金」などのジャズソングを中心に多数のヒット曲がある。ダンスとともに足を頭より高く上げるハイキックを披露し、その美しい容姿からアイドル的な人気を博した。 (注)「川畑」の読み方については、アメリカ時代は当時の本名通りの「かわはた」KAWAHATAであるが、日本での芸名としての「川畑」は、本人によるサインや出版物のローマ字表記はKAWABATA であり、当時の新譜宣伝用レコードのナレーションにおいても「カワバタフミコ」と紹介されている。 == 来歴・人物 == 父は岡山県生まれの日系一世、母は日系二世で文子が3歳の頃ロサンゼルスに移住。 5歳になった頃、病弱な文子の健康を気遣った母の意向により、ロサンゼルス郊外に転居した。 10歳の頃、ヴォードヴィルを見た影響により、近所の子供達を集めて庭の芝生で舞踊大会を開くようになった際に、足を頭より高く上げるハイキックを披露。 その様子を見ていた母は文子の才能を見出し、12歳になった頃からダンスを学ばせることになった。 すぐさま頭角を現し、オーヒューム劇場、ウエストコート劇場などに出演後、13歳の頃ニューヨークへ渡り、3年契約1ヶ月1300ドルで当時大興行会社であったRKOと契約、全米のヴォードヴィル・シアター40数箇所にて公演することになる。 当時ニューヨークで有名だったヴォードヴィル・シアターのパレス劇場 (Palace Theatre) の檜舞台を踏んだ日本人は、早川雪洲、三浦環と川畑文子の3人だけであると言われている。 「ベビー・スター」「琥珀色のジョセフィン・ベーカー」とあだ名をつけられ、未だ東洋人差別が渦巻いていたジャズの本場のアメリカでも、既に一流の天才ダンサーという折紙付きであった。 文子は母・弟の清と共に日本に1932年(昭和7年)10月、郵船浅間丸で横浜港に到着する。 本来は多忙な生活に疲れたためにしばしの休養をかねてのお忍び旅行であったが、横浜港にはすでにコロムビアレコードが出迎えていた。 そのため、アメリカでのRKOとの契約を残したまま、日本ではコロムビアレコードと契約を交わして芸能活動を始める。 1933年(昭和8年)1月よりレコーディングを開始、2月にはラジオ番組に出演、デビュー作「いろあかり / 三日月娘」が発売、帰朝第1回公演が東京劇場で行われ、大好評を博した。 1933年(昭和8年)12月31日からは陸の竜宮と言われた日本劇場杮落し公演「踊ル1934年」で主演を務め大ヒット、日劇周辺は入り切れない観客で溢れかえった。 1933年(昭和8年)のデビューから1934年(昭和9年)までコロムビアレコードでジャズソング計36曲(うち2曲は未発売)のレコーディングを行い、1934年(昭和9年)には日活で主演のトーキー映画『若夫婦試験別居』が公開されるとともに、日本中のみならず、大陸でも巡業した。 翌1935年(昭和10年)、テイチクと契約を結び、愛弟子のチェリー・ミヤノのボーカルによりタップダンスを収録した4曲を含む34曲をレコーディング(うち4曲は未発売)し、1935年(昭和10年)5月に2作目の主演日活トーキー映画『うら街の交響楽』の公開を待たずして、アメリカでのRKOとの残りの契約を果たすために帰国する。 1938年(昭和13年)5月再来日し、再度コロムビアレコードと契約、6曲を吹き込む。 大陸での日本軍慰問を含めた巡業の後、1939年(昭和14年)4月に結婚し引退した。 戦後の1947年(昭和22年)10月に、ハワイを経由してアメリカ合衆国に帰国し、離婚。 晩年、舞踊評論家の乗越たかおが永年消息不明であった川畑文子への取材に成功。 その成果は『アリス 〜ブロードウェイを魅了した天才ダンサー 川畑文子物語〜』(1999年(平成11年)講談社)として発表されている。 2007年(平成19年)に永眠した。享年90。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川畑文子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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