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川端 賢樹(かわばた まさき、1972年4月10日 - )は、日本のプロボクサー。兵庫県宝塚市出身。兵庫県揖保郡太子町在住。第27代日本スーパーフライ級王者。姫路木下ボクシングジム所属。兵庫県立龍野実業高等学校(現兵庫県立龍野北高等学校)卒業。 == 来歴 == 高校1年生の夏にマイク・タイソンに憧れ、姫路木下ジムに入門してボクシングを始める。 1992年11月9日、デビュー戦に1RKOで勝利。 1997年4月29日、川端と同じく後に世界挑戦を果たす浅井勇登と6回戦で引き分け。中央では無名の選手同士の試合だったが、当時、『ワールド・ボクシング』誌上にてノンフィクション・ライターの佐瀬稔がこの一戦を激賞した。 1999年3月6日、松浦広平(国際)を10R判定で破り、日本ランキング上位に。 1999年6月27日、モンゴルの強豪で世界7位・PABA王者のユーラ・ディマに8R判定負け。 1999年9月4日、世界ランカーのパニアン奥田(角海老宝石)に9R負傷判定負け。ディマ戦に続き、強豪相手に健闘。 1999年11月8日、グアムにて世界挑戦経験のある世界ランカー、カルメロ・カセレス(フィリピン)に3RTKO勝ち。世界ランクに進出。 2000年2月25日、22戦16勝4敗2引分の戦績で、タイ・サムットプラーカーンでWBC世界フライ級王者メッドグン・3Kバッテリーに挑戦する。序盤は攻勢に進めたが、12R判定で敗れ戴冠ならず。 2001年4月9日、日本フライ級王座決定戦を坂田健史と争い10R判定で敗れ、戴冠ならず。一度引退。 2002年6月9日、復帰戦を1RKO勝ちで飾る。 2003年2月3日、WBCインターナショナル王者で、世界王座挑戦経験のある強豪、ランディ・マングバット(フィリピン)に10R判定勝ち。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川端賢樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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