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工藤一彦 : ミニ英和和英辞書
工藤一彦[くどう かずひこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たくみ]
  1. (n,adj-na) (1) workman 2. artisan 3. mechanic 4. carpenter 5. (2) craft 6. skill 7. (3) means 8. idea
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [いち]
  1. (num) one 

工藤一彦 : ウィキペディア日本語版
工藤一彦[くどう かずひこ]

工藤 一彦(くどう かずひこ、1956年5月20日 - )は、元プロ野球選手投手)、野球解説者青森県生まれ、茨城県出身。選手時代は阪神タイガースに所属した。
== 来歴・人物 ==
土浦日大高校では、1974年春夏の甲子園にエースとして出場。いずれも高校として初出場であった。春の選抜では1回戦で新居浜商を降すが、2回戦で報徳学園に惜敗〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。夏の選手権県予選決勝で取手二高松沼雅之に投げ勝っての出場。2回戦(初戦)で原辰徳らのいた東海大相模と延長16回の熱戦の末2-3xでサヨナラ負け〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。同年の茨城国体(水と緑のまごころ国体)にも出場、決勝で銚子商土屋正勝に投げ勝ち優勝を飾る。
高校同期では捕手の荒川俊男(巨人)、中堅手の林真人(阪神)がプロ入りしている。当時は土屋、定岡正二永川英植とともに「高校四天王」と呼ばれ、各球団から注目された。
1974年のドラフト2位で阪神入団。大器として期待されたが二軍暮らしが続く。プロ初勝利は5年目の1979年6月24日阪神甲子園球場での巨人戦だった。ただし「四天王」の中では1人だけドラフト2位指名ながら、プロの通算勝利数・現役実働年数は共に最多である。同年は先発陣の一角に定着し7勝、1982年には初の二桁勝利(11勝)に到達し、オールスターゲームにも選出された。1983年は自己最多の13勝を記録する。1985年から主として中継ぎに回り、同年のリーグ優勝にも貢献。西武との日本シリーズにも第3戦に登板している。1990年限りで現役引退
学生時代は陸上競技の経験があり、愛称「ぞうさん」のイメージとは裏腹に俊足だった。
1985年4月17日、甲子園での巨人戦に先発し7回3失点で交代したが、直後にバックスクリーン3連発があり、最終的に勝利投手となる。
1991年からサンテレビ野球解説者サンケイスポーツ評論家(大阪)として活躍した。現在はテレビでは地上波を離れCS放送向けに阪神戦中継を制作するTigers-aiGAORAスカイ・Aスポーツプラス)で、新聞ではスポーツ報知で野球解説を行なっている。
長男はNPB審判員工藤和樹で、関大一高時代に久保康友と共に1998年春夏の甲子園に出場している(久保がエースで、和樹が控え投手だった)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「工藤一彦」の詳細全文を読む




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