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工藤丈庵 : ミニ英和和英辞書
工藤丈庵[たくみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たくみ]
  1. (n,adj-na) (1) workman 2. artisan 3. mechanic 4. carpenter 5. (2) craft 6. skill 7. (3) means 8. idea
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [だけ, じょう]
  1. (prt) (uk) only 2. just 3. as
: [いおり]
 【名詞】 1. hermitage 2. retreat 

工藤丈庵 ( リダイレクト:工藤安世 ) : ウィキペディア日本語版
工藤安世[くどう やすよ]

工藤 安世(くどう やすよ、元禄8年(1695年)-宝暦5年2月20日1755年4月1日)は、『赤蝦夷風説考』の筆者工藤平助の養父で仙台藩江戸詰の藩医絵師。号は丈庵(じょうあん)。平助の娘工藤あや子(只野真葛)の著作『むかしばなし』に詳細が記されている。
== 略歴 ==
工藤丈庵安世は、仙台藩第5代藩主伊達吉村寛保3年(1743年)に江戸品川袖ヶ先に隠居するにあたり、その侍医として300石で召し抱えられた。延享3年(1746年)頃、仙台藩医になる際に妻帯が条件であったため、23歳年下の上津浦ゑんと結婚し、同時に紀州藩江戸詰の医師長井大庵の三男であった13歳の平助を養子とした。
『むかしばなし』によれば、養子平助にはまったく医学を授けなかった。しかし、実家で学問らしきことをほとんどしていない平助に対し、朝、『大学』を始めから終わりまで通して3度教え、翌日まで復習するようにと命じてみずからは出勤するという教授法で、10日ばかりで四書のすべてを教え、それによって平助は3ヶ月程度で漢籍はすべて読めるようになったという〔関(2008)p.9-10〕。
宝暦元年(1751年)、伊達吉村逝去の際、願い出て藩邸外に屋敷を構えることを許され〔『むかしばなし』に「御家中に外宅といふはぢゞ様がはじめなり」の記述がある。〕、伝馬町に借地して二間間口の広い玄関をもつ家を建てた。宝暦5年2月20日に死去。享年60。墓所深川東京都江東区)の心行寺にある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「工藤安世」の詳細全文を読む




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