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工藤會(工藤会〔『元警部銃撃で工藤会を家宅捜索 被疑者不詳の殺人未遂容疑 』 2012年4月25日 47NEWS〕、くどうかい〔『 2009年 警察庁 ― “ヨンダイメ・クドーカイ” 〕)は、日本の暴力団〔『Meeting Japan's yakuza 』 2012年8月23日 アルジャジーラ 〕。指定暴力団〔 2011年9月 警察庁〕。2012年より改正暴対法に基づく「特定危険指定暴力団」〔『5県が3暴力団を特定指定へ 改正暴対法で初 』 共同通信 2012年12月20日 47NEWS〕。福岡県の北九州市に本部を置き、2012年の2月時点で650名超の構成員を擁する〔『With Risk, Japanese City Takes On Once Accepted Fact of Life - Its Gangsters(1/2) 』 2012年2月2日 ニューヨークタイムズ 〕。主たる活動地域(2014年時点)は福岡県、山口県、および長崎県の3県、ならびに首都圏〔『「工藤会を壊滅せよ!」。オール日本警察で臨む、前代未聞の暴力団殲滅作戦が意味するもの(2/2) 』 伊藤博敏 2014年9月18日 現代ビジネス〕。 北九州地区最大〔『Japan's mobsters get a big-screen reality check with policeman's film 』 2006年7月22日 インデペンデント 〕かつ九州地方最大規模〔『工藤会 』 2003年8月20日 西日本新聞〕の暴力団組織で、北部九州地方に根差した他の数多の暴力団組織と同様、極めて好戦的な傾向を有することが指摘されており、強烈な反警察志向、容易に激昂する、手段としての闘争ではなく闘争行動それ自体に価値を見出す、などの傾向を有することで知られる“九州ヤクザ”の好例であるとの評がある〔『Fukuoka yakuza groups tackle police pressure in all-out war 』 2010年5月4日 The Tokyo Reporter 〕。 暴力団追放運動の関係者宅や一般企業に銃撃を加え、平然と手榴弾を投げ込むなど、いわゆる「カタギ」の市民をも攻撃対象とすることが特に知られており、関係事案の公判において、工藤会への恐怖から証言者5名のうち4名が証言を拒否するなどの異常事態が確認されている〔『山口組が岐路に立つゴールデンウイーク 』 2011年4月25日 溝口敦〕。福岡県庁はこうしたことから「極めて凶悪な組織」と形容(2010年)〔『北九州地区工藤會対策トップ会議の開催について 』 2010年5月19日 福岡県庁〕。警察庁も「極めて悪質な団体」と形容(2011年)〔 2011年4月 警察庁組織犯罪対策部暴力団対策課企画分析課〕。米国財務省は「“世界最大の犯罪組織”にあたる“ヤクザ”の中でも最も凶暴な団体」と指摘する(2014年)〔『米財務省、工藤会を制裁指定 暴力団で4例目 』 2014年7月2日 47NEWS〕。 「今、最も先鋭的な武闘派組織として知られる団体」(2012年・伊藤博敏)〔『「法」で追い詰める国家権力に「法」で対抗する暴力団---「福岡県」をターゲットにした改正暴対法は成立したが今後も続く一進一退の攻防(1/3) 』 伊藤博敏 2012年8月2日 現代ビジネス〕。反山口組の旗手としても知られ、九州地方の独立組織でつくる「四社会」という親睦団体を道仁会、太州会、および熊本会とともに結成している〔『実話時代 2012年6月号』 : “ 全国親睦団体の現況:九州「四社会」” 2012年6月1日 メディアボーイ〕。 == 来歴 == 前身は戦前の小倉に結成された「工藤組」という博徒組織で、その初代が工藤玄治であった。 1946年(昭和21年)、福間町の福間競馬場のスタンドの中央で、下関合田一家の合田幸一総長や工藤玄治から成る集団と、朝鮮連盟の者らとの喧嘩が起こった。するとたまたま居合わせた大長組の大長健一組長以下組員ら5名が合田・工藤らへの援軍に入り、朝鮮連盟の者たちを叩きのめした。その後、一行は博多に入った。 1950年、若松市の暴力団・梶原組の組員が、工藤組草野組・草野高明組長の弟を刺殺。梶原組と草野組は和解することなく対立を続けた。1963年には三代目山口組若頭の地道行雄が北九州市内の安藤組と長畠組、そして梶原組を傘下に収める。その後梶原国弘は北九州市での力道山のプロレス興行の実施を地道を通して三代目山口組田岡組長に依頼し、これを田岡が即座に了承。ところがこれを知った草野高明が、梶原への対抗から、市内での北原謙二の公演の開催を決定。これを直接のきっかけとして、工藤組組員らが山口組系組員らを河原で虐殺する、いわゆる紫川事件が発生した。 紫川事件から服役するに至った草野高明が出所後に工藤組を離脱したうえで「草野一家」を結成。そこから抗争状態に突入した工藤会と草野一家は、双方の幹部に死者を出しながら福岡県下全域で激しい銃撃戦を展開した。特に傘下田中組の組長が草野一家「極政会」によって殺害された1980年を境に抗争は激化の一途を辿った。〔『衆議院会議録情報 第094回国会 予算委員会第三分科会 第2号 』 三浦久 1981年2月28日 衆議院・国会〕 そうして激しい抗争を続けたものの、1987年をもってついに草野一家と合併〔。それまでの“工藤会”から“工藤連合草野一家”へ名を変え、草野一家の総長であった草野高明が当代の総長に就任、やがて若頭であった溝下秀男が1990年に三代目を襲名〔『平成5年度警察白書 第1節 暴力団の実態 』 1993年 警察庁〕。1992年(平成4年)に暴力団対策法に基づく指定暴力団となった〔 2009年7月 警察庁〕。 1999年をもって“工藤會”と名を変え、翌2000年に野村悟が四代目を継承〔『溝下 秀男 (みぞした ひでお) プロフィール 』 (『極道一番搾り親分、こらえてつかあさい』 ISBN 4-7966-1628-4) 1999年10月 宝島社〕。やがて最大傘下組織・田中組の組長であった田上文雄が2011年に五代目を襲名、前会長の野村は総裁に退いた〔『工藤会「5代目」就任 発砲相次ぐ福岡、田中組主導強まる 』 2011年7月13日 産経新聞〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「工藤會」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kudo-kai 」があります。 スポンサード リンク
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