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左舜生 : ウィキペディア日本語版
左舜生[さ しゅんせい]

左 舜生(さ しゅんせい )は、中華民国台湾)の政治家。中国青年党結成メンバーの1人で、後に中央執行委員長、主席なども務めた。名は学訓だが、舜生で知られる。別号は仲平
== 事跡 ==

=== 少年中国学会 ===
塾教師の家庭に生まれる。初めは旧学を学んでいたが、中華民国成立頃に長沙で外国語専門学校が新たに成立すると、左舜生はこれに通い、英語と日本語を学んだ。1914年民国3年)秋、兄の資金援助を受けて上海に移って震旦学院に入学、フランス語を学ぶ。このとき、曽琦李璜と知り合った。学業の途中で兄が死去したため、経済的に困窮した左は中途退学し、1917年(民国6年)秋に南京で家庭教師などの職で生計を立てている。
1918年(民国7年)6月、北京で曽琦・王光析李大釗らが少年中国学会の組織を準備し始める。翌月、王が南京に組織準備のためにやって来て、このときに左舜生も少年中国学会に加入した。同年7月、会は正式に発足し、左は学会評議部評議員に選出される。翌年、曽がフランスへ留学したため、左がその後任として評議部主任となった。
少年中国学会は五四運動などで多大な影響力を発揮した。しかし五四運動勃発から数か月して、曽琦・左舜生・李璜・陳啓天らの国家主義派と、李大釗・鄧中夏黄日葵高君宇らのマルクス主義派との対立が顕在化する。曽・李らがフランス留学中であったため、中国国内での国家主義派のリーダーは左と陳が務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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