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左近允 尚敏(さこんじょう なおとし、1925年 -2013年6月30日)は大日本帝国海軍軍人、海上自衛官。最終階級は海将。鹿児島県出身。海兵72期。海軍中将左近允尚正の次男。兄は多号作戦で駆逐艦「島風」砲術長として戦死した海軍大尉左近允正章(まさふみ)。 == 経歴== 鹿児島県生まれ。兄・正章と同じく横須賀中(30期)より海軍兵学校へ入校、1943年9月卒業(72期)。戦艦「伊勢」で乗艦実習の後、重巡洋艦「熊野」砲術士に命ぜられる。1944年3月航海士に命ぜられ、その後マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に参加。1945年3月、駆逐艦「梨」航海長に命ぜられる。8月15日、駆逐艦「初桜」航海長として終戦を迎える。9月28日、水先案内の士官を送り届けるため、米艦隊を出迎える。その後復員業務に従事した。 1952年に海上自衛隊の前身の海上警備隊に入隊、インドネシア防衛駐在官、第4護衛隊群司令、練習艦隊司令官、防衛大学校訓練部長、統合幕僚会議事務局長、統合幕僚学校長などを歴任し、1979年に退官。 自衛隊退官後は葉山町に在住し〔『百年の風 創立百周年記念誌 神奈川県立横須賀中学校・高等学校 朋友編・明友編』498頁〕、平和・安全保障研究所研究委員、産経新聞客員論説委員を経て、平和・安全保障研究所研究委員会顧問、日本国際フォーラム政策委員となった。 2013年6月30日、胸部大動脈瘤破裂で死去〔なにわ会のブログ 訃報 左近允尚敏君が逝去されました。 2013年9月15日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「左近允尚敏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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