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巴 ゆき子(ともえ ゆきこ、1935年11月1日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元女子プロレスラーである。日本人初の女子プロレス世界王者。本名・黒崎 幸子。身長170cm。 == 来歴 == 学生時代はバレーボールやソフトボールに熱中。 1955年、全日本女子プロレス協会に入門。当初のリングネームは「巴幸子」で、同期に吉葉礼子・山口洋子姉妹と柳みゆき。 1968年3月2日、台東体育館にて当時の日本女子プロレスが招聘したファビュラス・ムーラが持つNWA女子世界王座に挑戦。60分3本勝負で1-1となった3本目で両者リングアウトとなり王座獲得ならず。 3月10日、東大阪市体育館でムーラと再戦。1-1での3本目を4分53秒でムーラのリングアウトで念願のNWA王座を獲得。日本人で初めて女子プロレス世界王座のベルトを獲得した。なお、当時は男子でもNWAのシングル世界王座を獲得した日本人はヒロ・マツダ(NWA世界ジュニアヘビー級王座)のみであり(ジャイアント馬場がNWA世界ヘビー級王座を獲得する6年前)、日本国内中心に活動する日本人選手として、男女通じて初のNWA世界王座獲得ともなった。 その後ムーラ相手に2度防衛も、同年4月2日の浜松市体育館にて敗れ王座陥落。 同年、全日本女子プロレスの旗揚げに参加。後に「巴ゆき子」にリングネームを改名。 9月1日、USガールズ王座を奪取。 1969年3月31日、インターナショナル・ガールズ王座を奪取し2冠達成。 1970年引退〔ロッシー小川『女子プロレス崩壊・危機一髪』、ぶんか社、1997年11月、P202。〕。日本プロスポーツ大賞で功労賞を受賞した。 その後、全女のスタッフに転向。初の女性レフェリーとなり、コーチも務めた。また、マッハ文朱の名付け親でもある。 退社後は1979年より武蔵小山駅近くでスナック「ラセーヌ」を経営〔し、同郷である立野記代を始め後輩レスラーが店を手伝うこともあったが、体調不良のため閉店し地元に帰った。 全日本女子協会時代にはドキュメンタリー映画「リングの女豹」に他のレスラーとともに出演した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「巴ゆき子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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