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市之川鉱山(いちのかわこうざん)は、愛媛県西条市市之川にある鉱山(現在は閉山)である。 主にアンチモンを採掘していた。 高品質の輝安鉱が採れた事で世界的に有名。 == 歴史 == 市之川鉱山がいつ頃発見されたかは定かではなく、延宝7年(1679年)に曽我部親信が発見し『市之川鉱山沿革誌』にまとめたのが市之川鉱山の発見といわれているが、それよりも遥か以前、文武天皇2年(698年)に朝廷に対して伊予国から白目(白錫、白鑞と記すこともある)が献上された事が『続日本紀』に記されている。現在、白目というのはアンチモンを主成分としヒ素を含む鉱物を意味し(しかし輝安鉱自体はヒ素を含んではいない)、献上されたものが市之川鉱山産の輝安鉱ではないかという説もある。この説が正しければ「市之川鉱山は国内最古の鉱山のひとつ」ということになる。 江戸時代、天保12年(1841年)~明治4年(1871年)の間は小松藩によって経営された。その後、廃藩置県の影響を受けて経営は小松藩から石鉄県へ移った。 明治7年(1874年)に組合事業となる。 明治26年(1893年)には市之川鉱山株式会社が設立される。この頃、1894年の日清戦争や大正3年(1914年)の第一次世界大戦の頃にアンチモンの需要が拡大し鉱山は最盛期を迎えることとなる。しかし、その時期以外は不況で休山が目立ち、昭和に入るとますます不況に陥っていった。 昭和32年(1957年)休山(事実上の閉山)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「市之川鉱山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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