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市川 孝徳(いちかわ たかのり、1990年11月3日 - )は、日本の陸上競技選手。高知県高岡郡四万十町出身。東洋大学経済学部卒業。トヨタ紡織⇒日立物流所属。 身長177cm、体重51kg。 大学時代に行われた箱根駅伝では、復路6区山下りで、過去5人しか達成してない3回の1時間切りをしている。3000m東洋大学記録保持者 == 来歴 == 2010年1月に開催された第86回東京箱根間往復大学駅伝競走で、自身の駅伝デビュー戦となる復路6区を任され、前半は沿道の応援を受け、笑顔を見せていた。しかし後半に差し掛かった辺りから一気に苦痛な表情になり、最終的に1時間00分55秒と区間9位だったが、トップを死守しチームはそのままトップでフィニッシュテープを切り、初の総合2連覇を果たした。 2011年1月に開催された第87回東京箱根間往復大学駅伝競走では、前回と同様に復路6区を任され、59分58秒と前回を上回る走りを見せた。しかし早稲田大学の高野寛基が、市川のペースを更に上回る走りを見せトップを奪われる。チームは往路3連覇はしたものの、箱根駅伝史上最僅差となる21差で早稲田に負け総合2位となた。これを機に、チームスローガンは「その1秒を削り出せ」になった。これは、一人が1秒を削れば必ず勝てるという想いで作り上げた。 2012年1月に開催された第88回東京箱根間往復大学駅伝競走は、3年連続復路6区で、前回逆転を許した早稲田大学をさらに引き離し、また当時区間記録保持者の、駒澤大学の千葉健太を上回る走りを見せ、59分16秒と区間賞を取って、7区・設楽悠太に襷を繋ぐ。チームはそのままトップでゴールし優勝。更には往路・復路・総合全ての成績において記録更新した。 大学4年生時には副将に就任し、今回の総合記録更新で優勝テープを切った主将・齋藤貴志と共に新チームを作り上げる立場になった。ところが、主将・齋藤が駅伝の登録メンバーから外れ、夏合宿から急遽主将に移ったが、焦らずにチームを引っ張った。 2012年の体育の日に開催された出雲全日本大学選抜駅伝競走は、各校のスピードランナーが集う2区にエントリーされ、自身初の出場となった。8位で、1区・設楽啓太から襷を貰うと序盤から一気に飛ばし、4つ順位を押し上げ17分11秒と区間6位と好走したが、チームは2位に終わり、出雲での初の連覇は叶わなかった。 同年11月に行われた全日本大学駅伝対校選手権大会は5区に抜擢され、こちらも出雲と同様に初出場で35分33秒と区間2位と当時の区間記録保持者の松村拓希の記録を塗り替えたが、チームは出雲に続き2位に終わった。 2013年1月に開催された第89回東京箱根間往復大学駅伝競走は、4年連続の復路6区を任され59分16秒と前回と同じペースで走ったが、駒澤の千葉と明治の廣瀬、帝京の千葉が市川のペースを上回る走りを見せ、区間4位となった。なお、市川は史上5人目の6区を3回1時間切りをする快挙となったが、先頭を走る日本体育大学の鈴木悠介とは17秒縮めるにとどまり、チームは2位となり、これで2012年度の大学三大駅伝は全て2位となり、市川自身の大学駅伝の幕を閉じた。 大学卒業後はトヨタ紡織に入社したが、僅か1年で退社し、日立物流に移籍した。 2014年11月に開催された東日本実業団対抗駅伝競走大会は1区を任され、実業団駅伝デビュー戦となった。前半は先頭集団についてたものの、後半から徐々にペースが落ち、最終的には34分30秒と区間11位でトップと1分差を広げてしまったが、チームは9位で終わり、ニューイヤー駅伝への切符を手に入れた。翌年も東日本実業団駅伝に出場し6区を任され、6位で襷を貰うと順位を1つ上げ31分11秒と区間12位となり、チームはそのまま5位でフィニッシュした。 2016年1月に開催された全日本実業団対抗駅伝競走大会で新春の1区を任され、35分47秒と区間29位というデビュー戦となったが、トップと1分以内で襷を繋いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「市川孝徳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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