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市川 市丸(いちかわ いちまる、1906年10月27日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名壽 市太郎(ことぶき いちたろう)。美少年俳優として尾上松之助映画で優遇され、主役も張ったが、独立して失敗、低予算娯楽映画の河合映画製作社に移るも22歳そこそこで消えてしまう。 == 来歴・人物 == 1906年(明治39年)10月27日、名古屋市鉄砲町(現在の同市中区栄2丁目あたり)に生まれる。京都へ出て旧制中学校に入学するも中退、18歳になる1924年(大正13年)10月に、日活大将軍撮影所に入社する〔『日本映画俳優全集・男優編』(キネマ旬報社、1979年)の「市川市丸」の項(p.47-48)を参照。同項執筆は田中純一郎。〕。 生まれついての美貌から、中村鶴三こと尾上松之助の総指揮・主演作品『荒木又右衛門』の「渡辺数馬」役に抜擢され、俳優としてデビューする。同作は1925年(大正14年)11月1日に公開された。次の出演作はすでに主役である。辻吉郎監督の『尾張三郎丸』、続編の『その後の三郎丸』、池永浩久・中村鶴三総指揮による大作『実録忠臣蔵』の天の巻・地の巻・人の巻の三部作には、松之助の「大石内蔵之助」に市丸の「大石主税良金」である。つづいて主演した『姫小姓弥源太』でも好評を博した〔。伊藤大輔監督、大河内伝次郎主演の『忠次旅日記 甲州殺陣篇』でも2番手にクレジットされた。 瞬く間に15本に出演した市丸は、20歳の1927年(昭和2年)に独立、「日本映画プロダクション」を奈良に設立、中川紫郎の「中川映画製作所」で志波西果と中川を監督に3本の映画に主演する。しかし、同時期に若手の剣戟俳優林長二郎(のちの長谷川一夫)や市川百々之助を押し出すメジャー会社の大宣伝には勝てず、興行的に惨敗した〔。同社に入社してきた俳優の鳥羽陽之助の初主演作を中川が監督して、同社は閉めざるを得なくなった。 1928年(昭和3年)、市丸は東京に設立されたばかりの河合映画製作社に入社、さっそく尾崎優之助監督の『恩讐録』に主演として迎えられ、松竹蒲田撮影所出身の橘喜久子、河合生え抜きの少女スター琴糸路と共演した。同年一杯12本に出演したが、鈴木澄子主演の『白妖姫』に出演したあとは、姿を消してしまった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「市川市丸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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