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市川 栄之助(いちかわ えいのすけ、天保2年(1831年)? - 明治5年11月25日(1872年12月25日))は、貸本屋。日本語教師。 == 生涯 == 上総国に生まれる。東京芝で三河屋という貸本屋を開いた。明治2年(1869年)にたまたま用事があって築地に行ったときに、D・C・グリーン宣教師が道に迷っているのを見て、ゼスチャーで案内することを通して知り合いになった。それがきっかけでグリーンの日本語教師になった。 グリーンが神戸に移住する時に市川に同行を求めた。市川は神戸に同行することを承認し、貸本屋を処分して神戸に夫婦で同行することになった。神戸ではグリーンの近くに家を借りて毎日通って日本語を教え続けた。 明治4年(1871年)3月に来日したO・H・ギューリック宣教師にも日本語を教えた。明治4年5月京都で万国博覧会が開かれた時に開催された宣教師会議に出席するために、ギューリックは夫婦で長途に行った。禁教のキリスト教を理由として明治4年5月13日(1871年6月30日)金曜日夜に近所の家を訪ねた時に逮捕され、夫人の市川まつも同行を求められた。家宅捜索をされ証拠品を押収され、二人は留置所に閉じ込められた。 逮捕時に押収された書物は、漢文の旧約全書、新約全書、J・C・ヘボンの翻訳によるマタイによる福音書、ヨハネによる福音書、マルコによる福音書、祈祷文の写本。市川栄之助は外人礼拝に出席していたため、キリスト教を信仰した容疑がかけられた。そして、京都の弾正台に送られてしまった。 グリーン宣教師らはこの事件をアメリカ領事館に訴え、アメリカ領事は兵庫県知事中山信彬に抗議し、釈放を求めたが、市川栄之助はキリスト教信仰を理由に拷問にかけられキリスト教の信者であるかどうか厳しく取り調べられた。市川はそれを否定し続け、寛大な処置を求めた。明治5年(1872年)11月25日に牢内で秘密裏に処刑され死去した。〔公式発表は牢死となっている。(勝尾金弥2012年、146頁)〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「市川栄之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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