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市川都志春 : ミニ英和和英辞書
市川都志春[いちかわ としはる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [し]
  1. (n-suf) city 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [みやこ]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis 
: [こころざし]
 【名詞】 1. will 2. intention 3. motive 
: [はる]
  1. (n-adv,n-t) spring 

市川都志春 : ウィキペディア日本語版
市川都志春[いちかわ としはる]

市川 都志春(いちかわ としはる、1912年1月18日 - 1998年4月29日)は、日本作曲家音楽教育者静岡県浜松市出身。
==人物==
音楽教育に力を入れ、多くの音楽教科書の著述、編集を務めたことで知られる。また、各地の学校で校歌の作曲を多く手がけている。
浜松市で生まれ、中学からは東京に移り住んだ。旧制市立ニ中では、福田恆存(英文学)、高橋義孝(独文学)と同期。作曲を志し、1935年に東京音楽学校の器楽部ヴァイオリン科に入り、安藤幸子ウィリー・フライに師事した。また課外でクラウス・プリングスハイムに作曲を学び、1937年本科卒業後は研究科に進んで、信時潔に半年間作曲を学ぶ。また1938年には諸井三郎に1年間師事した。
1937年第6回毎日音楽コンクールに応募した『序曲』が第3位入選、翌年の第7回は『交響曲の第1楽章』が第1位入選した。1940年、日本放送協会募集紀元2600年記念管弦楽曲には『交響組曲「春苑」』が第1席入選し、1942年にはビクター主催第1回管弦楽懸賞に『沃野』が予選通過、1943年、東宝映画主催映画音楽コンクールには『交響組曲「熱風」』が第1位入選するなど、戦時中、多方面で活動した。戦後は教育活動が主となったが、1970年代に再び大規模な管弦楽曲に手を染め、チェコを中心に海外でも紹介され、ズデニェク・コシュラー指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団による録音もある。
戦後は弟・肇(1918 - 1993)と共に教育芸術社を起こして音楽教育に携わった。
元・教育芸術社社長の市川昶史は都志春の子。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「市川都志春」の詳細全文を読む




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