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市橋秀彦 : ミニ英和和英辞書
市橋秀彦[いちはし ひでひこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [し]
  1. (n-suf) city 
: [はし, きょう]
 【名詞】 1. bridge 

市橋秀彦 : ウィキペディア日本語版
市橋秀彦[いちはし ひでひこ]

市橋 秀彦(いちはし ひでひこ、1953年1月10日 - )は、福岡県〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、49ページ〕出身の元プロ野球選手である。ポジションは投手内野手
==来歴・人物==
九州工業高校では、1970年に主戦として第52回全国高等学校野球選手権大会に出場するも、1回戦で小川清一を擁した大分商業高校に敗退した(延長15回、1-5)〔。夏の予選7試合では75三振を奪う本格派。その年のドラフト会議で、近鉄バファローズから1位指名を受け、入団〔。
入団時はオーバースローの本格派だったが、2年目の秋あたりに、腰の回転がサイドスローに向いていると判断した投手コーチ・中原宏の指導で、サイドスローに転向。秋の教育リーグ「阪神、阪急戦」でテストした結果、スピードも乗っているうえに、制球力不足も解消されつつあった。アウトコースへ入る重い球質のストレートが決め球だった。シュートも武器。カーブはプロ入りしてから覚えた。大いに期待されたが、投手としての公式戦出場(登板)は1試合のみに留まった。
1975年オフに阪本敏三八重沢憲一との交換トレードで服部敏和永淵洋三と共に日本ハムファイターズへ移り、1976年シーズンから内野手に転向した〔。
1978年オフ、ファイターズから戦力外通告を受け、ロッテオリオンズに移籍。そして、1982年限りで引退した〔。
現役最後の年となった1982年には、プロ入り後初の本塁打と、初めての打点を記録している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「市橋秀彦」の詳細全文を読む




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