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市橋 長璉(いちはし ながてる、享保16年(1733年)- 天明5年10月6日(1785年11月7日))は、近江仁正寺藩の第6代藩主。仁正寺藩市橋家7代。 豊後臼杵藩主・稲葉菫通の次男。母は中原氏。正室は平戸藩主・松浦誠信の娘。側室に伊東氏、中西氏。子は市橋長昭(長男)、娘(畠山国儔正室)、娘(松浦信好室)、娘(稲田敏植室)、娘(高木永貞室)、娘(高木貞直室)。官位は従五位下、伊豆守。幼名は豊三郎。安之丞。民部など。長輝とも言う。 宝暦5年(1755年)2月11日、先代藩主の直挙の養嗣子となり、宝暦8年(1758年)11月24日の直挙の隠居により跡を継いだ。 天明5年(1785年)10月6日、仁正寺にて53歳で死去し、跡を長男の長昭が継いだ。法号は嶺雲院殿徹翁浄閑大居士。墓所は滋賀県蒲生郡日野町の清源寺。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「市橋長てる」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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