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市民の古代(しみんのこだい)とは、1979年(昭和54年)から1999年(平成11年)にかけておおむね年1回「市民の古代研究会」から発行されていた日本の古代史を中心にした歴史雑誌である。 == 概要 == 『市民の古代』とは「市民の古代研究会」の会誌に位置付けられていた出版物であり(古田武彦の近況や講演会などの行事の告知や活動報告、会員間の交流情報や、研究発表(短い物)を掲載した会報自体は「市民の古代ニュース」という名称で別に存在した。)、「市民の古代研究会」とは、古代史研究家である古田武彦の支持者を中心に組織された会である。当初は会員及び関係者限定で配布されていたが、そのうち限られた一部の一般書店でも取り扱われるようになり、新泉社から商業出版の形で刊行されるようになってからは広く一般書店で取り扱われるようになった。1988年(昭和63年)には「十周年記念号」として第10集を刊行するとともに入手が困難になっていた第1集から第7集までの分を収録した合本が2冊刊行されている〔その後1991年(平成3年)に第8集から第10集までを収録した合本第3号が発行されている。〕。また1988年(昭和63年)以降本誌とは別に特定のテーマに絞った「別冊(別巻)」が不定期に計4回発行されている。 「市民の古代研究会」は「アマチュアの歴史研究会団体としては日本最大」とされるほどに会員数が増加し〔水野孝夫「「古田史学の会」発足にあたって」『古田史学会会報創刊号』1994年(平成6年)6月 〕、それに伴って本誌も広く購読されるようになっていった。このように順調な歩みをたどっていた「市民の古代研究会」と本誌であるが、1990年代半ばになると『東日流外三郡誌』の偽書論争の影響で「市民の古代研究会」内部に激しい対立が生じるようになった。本誌の編集などを行っていた「市民の古代研究会」の運営に携わっていたメンバーが当時の古田の立場に批判的な者が多かったことから、古田を支持する者を中心に大量の脱退者を出して会が分裂するに至った。「市民の古代研究会」に残ったグループは本誌の発行を継続しようとしたが古田から論文や講演録の掲載を拒否され〔第16集の編集後記には、「これまでと同じように古田氏に講演録の掲載をお願いしたが理由も示されず拒否された」との記述がある。〕、特定の権威に依拠しない市民の会として独自路線を歩むことになった。しかし、会員が大幅に減少し財政的に困窮したことなどもあって年1回の発行も困難になり、第18集まで刊行を継続したものの、会は2002年12月に解散した。 古田を支持して会を脱退した人々は「古田史学の会」「多元的古代研究会」など複数の研究会を結成し、連合して年刊の雑誌『新・古代学』、『古代に真実を求めて 古田史学論集』(古田史学の会編)、『なかった 真実の歴史学』などを発行している。古田は1994年10月に出した著書『古代通史-古田武彦の物語る古代世界-』(原書房)の巻末において、同時点で古田を支持している諸団体の名称や連絡先を列挙した後に「(注)『市民の古代研究会』を名乗っている会は、私古田とは何の関係もありません。」と述べている。また現在古田を支持する団体が開設しているサイトにおいて「市民の古代索引」を見ることが出来るが、これはあくまで「同会の一会員がかつて所属していた会の情報を提供している。」という形を取っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「市民の古代」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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