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布恒更科(ぬのつねさらしな)は、東京都品川区南大井三丁目にある1963年(昭和38年)創業のそば屋店舗。 == 概要 == 布恒更科は、麻布永坂更科(現・更科堀井)一門の店である。更科堀井の創業は1789年(寛政元年)、信州出身で信州特産晒布の保科家御用布屋だった八代目清右衛門が、領主保科兵部少輔からそば打ちがうまいのを見込まれ、布屋よりも蕎麦屋の方が良いのではと勧められ、麻布永坂町の保科家の江戸屋敷そばに、そば屋「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」を創業したのが始まり。 当初は、大名屋敷や寺院などに出入していたが、明治時代半ばの最盛期には、皇室や宮家などにも出前を届けた。明治時代後期に、麻布永坂更科で板前をしていた伊島昇太郎は、日本橋に「三代町支店」を出店した。のちに有楽町に移転したが震災で倒壊し、「尾張町支店(後の銀座更科)」を出店した。 昇太郎には長男文雄、二男恒次郎(後の初代布恒更科)がいた。恒次郎は、戦後の混乱期に有楽町で何でも屋を営んでいたが、1952年(昭和27年)、江ノ島にそば屋を一時出して閉店、10年ほど後の1963年(昭和38年)、品川区南大井(現在地)に、初代布屋恒次郎「布恒更科」を開店した〔岩崎信也著、『蕎麦屋の系図』、「更科の系図」、光文社、2011年7月20日、国立国会図書館蔵書、2016年2月20日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「布恒更科」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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