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帆船時代の海戦戦術(はんせんじだいのかいせんせんじゅつ、英:''Naval tactics in the Age of Sail'')とは、オールで漕ぐガレー船が帆船に置き換わった1600年代初期から、汽走式の甲鉄艦が帆走式の戦列艦を時代遅れにした1860年代までの間にヨーロッパで発達した海戦の戦術である。 == 帆船の戦術 == 帆船時代の海戦戦術は、主にその当時の帆走軍艦の帆走技術と戦闘能力によって決定される。帆船の指揮官(提督)がその艦隊に命令を下せることの中で特に3つの制約的な要素がある。 # すべての帆船がそうであるように、キールを利用したとしても帆走軍艦も風上に向かって45度より小さな角度ではほぼ帆走できない。横帆中心の高速船の場合はとくに速度低下が顕著である。このことが、接近戦での艦隊の操縦性を制限していた。 # 当時の船は2つの大きな砲座、すなわち左右の舷側に砲を配置しており、艦首方向や艦尾方向に発射できる砲はわずかしか搭載していなかった。帆走軍艦は両舷は強靭・強力だが、艦首と艦尾は脆弱だった。舷側は強い木材で作られていたが、特に艦尾には士官用船室の大きな窓などがあり、脆い構造になっていて、縦射に弱かった。敵艦を艦首または艦尾から縦射することによって砲弾が艦の全長にわたって飛び抜けることになり、またその場合には舷側砲火で反撃することもできなかったからである。 # 海上での情報連絡の難しさである。艦隊同士での文書での連絡は航行中は不可能であり、声を出して伝えることは風の音や気象のせいで困難であった。そこで提督達はあらかじめ決められた旗旒信号を旗艦に掲げる方法に頼らざるを得なかった。しかしながら、信号旗も戦闘時の硝煙で確認できないという問題を含んでいた。 15世紀には、真の航洋軍艦であるマン・オブ・ウォー(man-of-war、武装帆船)が開発された。これは複数のマストに大小さまざまな横帆(おうはん)を備え風上に切りあがることができ、また大砲で重武装していた。中世末期までは、対人用の兵器は艦首楼または艦尾楼の上に位置していたが、重い大砲の採用によって、転覆の危険を避けるために船体の低い位置に装備する必要が生じた。このことは、以前なら軍艦と商船を兼務できた船の内部を、大砲と弾薬で満たすということを意味しており、軍艦に特化した船の出現を促すものであった。これはまた、その都度用船するのでなく、艦隊として常設されたものの出現につながっていった。 マン・オブ・ウォーは風のない沿岸部での作戦を除いて、それまでのガレー船に取って代わった。帆走のマン・オブ・ウォーの開発と、それにより大きな船団が長期間航海できるようになったことが、古い海戦戦術の革新を必要とした。 推進力を風に頼っている船では衝角戦術を取ることはできない。衝角攻撃のためには好適な風を受けて前進する必要がある。風が弱ければ効果は期待できず、風下側からは不可能である。その場合に利用でき、スペイン人が長く用いてきた戦術は、船首を敵の横腹にぶつけて戦闘員が敵船の甲板に侵入する移乗攻撃だった。このような攻撃をするためには、風上に位置取り、追い風を受けて横陣で突き進むことになる。しかし、風下の敵もこの向きを変えればこの攻撃をかわすことができ、また舷側砲で敵の艦首を破壊することができた。 組織の重要な革新が、サー・フランシス・ドレークによってなされた。軍艦は、彼のリーダーシップの下に、掌帆長、航海長、掌砲長、海兵隊長らによって構成される一種の委員会によって階級的に統率された。ドレークは専門知識を持たないものがその「委員会」に加わることを認めず、艦においては、社会的な地位と関係なく、その技能と経験によって裏打ちされた艦長の命令が唯一絶対のものであるという原則を確立した。この革新は、帆船時代のスペイン海軍では実現されず、その時代を通して「紳士」による妨害が行われ続けた。革命フランス海軍では、十分な経験や訓練を積んでいない水兵を昇進させるという、それとは逆の愚行が行われた(それは陸軍においても同様だった)。イギリス海軍では、それと対照的に、中流階級出身の多くの優れた指揮官を輩出した。それはたとえばホレーショ・ネルソン(牧師の息子)、ジョン・ジャーヴィス(事務弁護士の息子)またはコリンウッド(肉屋の息子)などであり、トマス・コクランのような貴族出身者と対等の活躍をした。しかも、まれな例ではあるが、ジョン・ベンボウ(en)のような労働者階級の出身者までいた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「帆船時代の海戦戦術」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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