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帆足 計(ほあし けい、1905年9月27日 - 1989年2月3日)は、大分県出身の官僚、財界人、政治家。 == 略歴 == 旧制第六高等学校、東京帝国大学経済学部卒。在学中は新人会で学生運動に身を投じた。 朝日新聞社出身のソ連スパイ尾崎秀実、風見章、勝間田清一、穂積七郎らと共に近衛文麿の最高政治幕僚組織「昭和研究会」に所属した〔昭和研究会(昭和同人会編著、経済往来社、1968年)巻末付属資料38頁「昭和研究会名簿(昭和14年2月現在)」〕商工省の革新官僚であり、第二次世界大戦中には重要産業統制協議会事務局長として統制経済を推進〔 権限委譲と統制会の運営 (東京新聞 1942年11月19日、神戸大学電子図書館所収)〕し、日本国の国民経済を自由主義的市場経済から全体主義的計画経済へ移行させる経済新体制の確立を画策した〔 重産協事業報告 第1号 自昭和15年8月創立至昭和17年7月 (重要産業協議会、1942年、国立国会図書館デジタルコレクション所収)5~8頁。〕。 昭和研究会には帆足ら革新官僚と尾崎ら転向左翼ら所謂「国体の衣を着けたる共産主義者」(近衛上奏文)が結集しており、彼らはマルクス主義に依拠して戦争を利用する上からの国内革新政策の理論的裏付けを行い、国家総動員法の発動を推進し、近衛新体制生みの親として大政翼賛会創設の推進力となった〔大東亜戦争とスターリンの謀略-戦争と共産主義(三田村武夫著、自由選書、1987年復刊、1950年GHQにより発禁)46頁、284頁「企画院事件の記録」〕。 日本国の敗戦後は経済安定本部参与、経済復興会議幹事長、日本産業協議会〔重要産業統制協議会の後身〕常務理事を務めるかたわら、経済同友会の設立に奔走。1946年の同会発足と共に諸井貫一、郷司浩平らと当番幹事(後の代表幹事)を務め、「財界の脚本家」の異名を取った。 1947年、第1回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から無所属で立候補、初当選(院内会派緑風会所属)。 1950年の第2回参議院議員通常選挙で次点落選したが、朝鮮戦争継続中の1952年3月に政府の制止〔帆足は旅券の発給を申請したが外務省から拒否された(帆足計事件)〕を振り切り、緑風会同僚の高良とみ、宮腰喜助と、公人として戦後初めてソビエト連邦に第三国経由で入国、国際経済会議に出席した。その帰路、周恩来の招聘に応じて北京へ赴き、成立直後の中華人民共和国幹部と初接触、中国国際貿易促進委員会(CCPIT)と第1次日中民間貿易協定を締結した。 冷戦下の鉄のカーテン、竹のカーテンを民間外交から打ち破らんとする行動は大きな反響を呼び、著書はベストセラーになった。同年の第25回衆議院議員総選挙(旧東京都第4区)で左派社会党公認候補として出馬、以降当選連続7回。 叙勲されることはなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「帆足計」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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