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帝人株式会社(ていじん、英:Teijin Limited)は、大阪府大阪市中央区に本社(本店)を置く、日本の大手繊維事業者。帝人グループの中核企業であり、事業持株会社である。 UFJグループで、みどり会構成企業の一つであり、かつては宇部興産、日立造船と共に「三和御三家」と呼ばれていた。 == 概要 == 創業者で米沢高等工業学校(山形大学工学部の前身)の講師でもあった秦逸三が久村清太と共に1915年(大正4年)に、当時閉鎖中であった山形県米沢市館山(現在は米沢市立第三中学校敷地)の米沢製糸場を買い取り、鈴木商店の子会社、東工業米沢人造絹糸製造所として設立される。当時は第一次世界大戦中で、ヨーロッパからレーヨンの輸入が少なくなっていたこともあり、創業と共に高い業績をあげると、1918年(大正7年)には株式会社に改組、帝国人造絹絲に社名を変更する。 昭和に入ると、金融恐慌により、出資元であった鈴木商店は破綻清算に追い込まれ、また山形の工場も1927年(昭和2年)に竣工した岩国工場に比べて、効率性で劣ったことなどから閉鎖に追い込まれる。これにより、創業の地・山形から当時の繊維業の本場でもあった大阪・船場に近い、大阪へ本社を移すと共に、以後はその後竣工された三原工場、松山工場など西日本を中心に生産がおこなわれるようになる。しかし戦後に入ると同社の主力であったレーヨンの需要は瞬く間に低下し、代わって米・デュポン社からナイロンの製造技術を得た東洋レーヨン(現・東レ)の激しい巻き返しに遭い、一時は倒産寸前にまで陥ってしまった。 その後、大蔵大臣をつとめた経験があり、鈴木商店出身でもある大屋晋三が社長に就くと、1958年(昭和33年)にはイギリス・ICI社からポリエステル(東レとの共同商標「テトロン」)製造の技術を導入、これが見事に成功をおさめ、息を吹き返すと共に、以後帝人は東レと同じく化学繊維メーカーとして繊維業界での地位を確立させることになる。 また、1957年(昭和32年)にニューヨークとデュッセルドルフへ駐在員を赴任させたのを皮切りに、1960年代前半までに欧州、アフリカ、中近東、アジアの計10都市に事務所を開設している。さらに大屋の発案で、1961年(昭和36年)からは専務取締役(財務担当)と取締役(技術担当)をニューヨークに、常務取締役(化学担当)をデュッセルドルフにそれぞれ駐在させるなど、首脳レベルの役員を海外駐在させるという当時としては異例の態勢で海外展開に取り組んでいる。 1970年代、大屋により設立された「未来事業部」により、50以上の新規事業が立ち上がったが、1973年(昭和48年)の第一次石油危機により、この拡大政策は頓挫する。やがて繊維不況とも相俟って、以降、帝人は厳しい経営環境に晒されることになるが、医薬医療事業や炭素繊維等の高機能繊維の成長により、2000年度から2006年度にかけて7期連続の営業増益を記録するなど、1990年代後半からは堅調な業績推移が続いている。 大屋が四半世紀近くも社長に在任したこともあって、一時は社長の任期を定款で制限したこともあったが、新会社法への移行に伴うコーポレートガバナンスの確立でこの規定は削除された。 現在においても繊維事業が売上高の5割程度を占めており、また独・ベーリンガーインゲルハイム社との合弁に端を発する医薬品事業も拡大を続けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「帝人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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