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ズノー光学工業株式会社(Zunow Opt.)はかつて存在した日本の光学機器メーカーである。ライカマウント、コンタックスマウント、ニコンSマウントの製品を製造し、寺岡精工所(現寺岡精工)のオートテラシリーズ〔『銘機礼賛2』p.150。〕、高嶺光学のミネシックス、ワルツのオートマット44シリーズ〔『クラシックカメラで遊ぼう ボクが中古カメラ中毒者になったわけ』p.176。〕〔『クラシックカメラ専科No.3、戦後国産カメラの歩み』p.117。〕、ミランダカメラ〔『クラシックカメラ専科No.3、戦後国産カメラの歩み』p.154。〕にレンズを供給、また16mmシネや8ミリシネ用レンズを生産するなどした。 一時経営者の鈴木作太が新光精機を設立〔『ズノーカメラ誕生』p.11〕し、そこでカメラも製造(実質は組立)〔『ズノーカメラ誕生』p.28〕していた。しかし主要取引先であるアルコ写真工業の倒産とネオカの経営の行き詰まりの煽りを受けて倒産〔『ズノーカメラ誕生』p.30〕しヤシカに買収された。 == 沿革 == *1930年(昭和5年) - 帝国光学研究所設立。社長は鈴木作太、技術部長は日本光学工業(現ニコン)から移った浜野道三郎。 *1943年(昭和18年) - 薄暮時の航空探索用に大日本帝国海軍から要請を受け、50mmF1.1の研究がスタート。 *1950年(昭和25年) - 50mmF1.1の試作品完成、12枚構成であった。 *1951年(昭和26年) - コピーライカであるテイカ(''Teika'' )試作。 *1953年(昭和28年)10月20日 - ズノー50mmF1.1発表〔。5群9枚構成。 *1954年(昭和29年) - 会社法人化され帝国光学工業株式会社となる。 *9月 - ライカマウントのズノー50mmF1.1とズノー50mmF1.3が同時発売された〔。後にコンタックスマウント、ニコンSマウントのものも作られた。設計変更前のものは後玉が大きく出ているのが特徴で「ピンポン球」と俗称された。 *1955年(昭和30年) - 日本光学工業から移った国友健司、八洲光学工業から移った藤陵厳達によりズノー50mmF1.1の設計変更、名称通り実質もF1.1とし後玉の出っ張りを解消した新種ガラスを3枚含む5群8枚構成。 *1956年(昭和31年)12月 - ズノー光学工業に商号変更。ズノー35mmF1.7、ズノー50mmF1.3、ズノー100mmF2発売。またカメラ設計者の荒尾清の理想のカメラを作るために出資者を募り新光精機を設立〔『ズノーカメラ誕生』p.11〕。 *1958年(昭和33年)4月〔『クラシックカメラ専科No.3、戦後国産カメラの歩み』p.64。〕 - 世界で初めて完全自動絞りを備えた一眼レフカメラ、ズノーペンタフレックスを新光精機から発売。 *1959年(昭和34年)後半 - ズノーペンタフレックスの生産を中止し、カメラ事業からの撤退を決めた。新光精機は清算され、部品や型などはすべて廃棄された。 *1961年(昭和36年)1月1日 - 主なレンズの供給先であったアルコ写真工業の倒産とネオカの経営の行き詰まりの余波を受けて倒産、ヤシカに買収された。 *2007年 - 有限会社フォノンから発売されたワイドコンバーターに「ズノー」の名称が冠せられる形でブランドが半世紀ぶりに復活した。これは、コンバーター製造元のエース光学株式会社代表取締役・鈴木健男が、ズノー光学社長・鈴木作太の息子であることと関係している。 == 製品一覧 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ズノー光学工業」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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