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帝国南極横断探検隊(英文表記: Imperial Trans-Antarctic Expedition。Shackleton's Expedition、The Endurance Expeditionとも。1914年8月9日〜1917年)は、イギリスが20世紀中に派遣した南極探検隊のうち、4番目の探検隊である。南極大陸の初横断を目指し、失敗した〔これはイギリスのフックス隊が1958年に初横断を達成するのに先立つこと約50年前のことである。〕。この探険は、文明圏から何千マイルも離れた地で探検隊の船が難破したあと、隊長であるアーネスト・シャクルトンとその隊員達が英雄的な努力によって南極から生還したことで有名である。数々の書籍が出版され、映画・ドキュメンタリー映像作品も製作された。 摂氏マイナス37度の寒さと乏しい食料の中、南極圏で28人が実に22ヶ月もの間を耐え忍んだ。最終的に、シャクルトン以下6名の乗組員が僅か7メートルの救命艇に乗って、南極海を1,500キロメートル航海した。その数ヶ月後、シャクルトンは残された全ての乗組員を救出しに戻り、一人の命も落とすこと無く全員が生還した。 探検当時は船舶無線が実用化されてはいたが、探険地が遠すぎて通信は不可能であった。更にイギリスは第一次世界大戦の真っ最中であり、行方不明になった探検隊の捜索・救出はついぞなかった。この探険の多くの部分は映像で記録されている。 == 背景 == 1911年12月、ノルウェーのロアール・アムンセンが史上初めて南極点に到達した。この偉業はイギリスにとって苦いものだった。全く同じ頃に南極点を目指していたイギリス海軍のロバート・スコットを隊長とする極点遠征隊5人は、全員死亡したのである。イギリスは都合10年間「世界の底」へ到達しようと三回も挑戦していたが〔ディスカバリー遠征(1901年〜1904年)、ニムロド遠征(1907年〜1909年)、テラノヴァ遠征(1910年〜1913年)の三回〕、ノルウェー人は僅か35日差でスコット隊長に、イギリスに先んじたのだ。 アイルランド人アーネスト・シャクルトンはこの三回の挑戦中、一つ目の探検隊(ディスカバリー遠征)に参加し、また二つ目の探検隊(ニムロド遠征)を率いていた。特に二つ目の探険では南極点から180km(115マイル)以内へ到達後、食料不足のために帰還した。これは当時の最南端到達記録だったので彼は大変有名になった。〔ワースリーによると、この時シャクルトンは南緯88度23分・東経162度に到達し、これは極点からの距離にして97海里だった。旅程全体は片道865海里の往復1730海里だったので、これからすれば微々たる距離だったという。『Endurance: An Epic of Polar Adventure』より〕旅から戻ると、彼は「『死んだライオン』と結婚するよりも『生きたロバ』と結婚する方が君にとってマシだろう」と言って自分の妻を慰めたと考えられている。彼は大失敗に終わったスコット隊(テラノヴァ遠征)にこそ不参加だったものの、性格の通りその決意は変わらず、その後新たに同じような挑戦をすることになった。イギリスの国旗を大西洋の南岸ウェッデル海から太平洋の南岸ロス海まで、南極点経由で運ぶ、というものであった。つまり南極大陸の横断である。帝国南極横断探検隊は、アムンセンが南極点についた後、一番はじめにイングランドを出発したイギリス南極探検隊であった。 当時、この偉業に挑んだ探検家は一人だけだった。それはドイツの探検家ヴィルヘルム・フィルヒナーである。彼は1911年、南極横断のために探検隊を率いてウェッデル海へ向かい、ルートポルド海岸と南緯78度でその南端であるヴァーゼル湾を発見した。しかし彼は南極大陸本土に基地を設置することに失敗し、陸上の行程を断念してヨーロッパへ帰還せざるを得なかった〔South-Pole.comのウィルヘルム・フィルヒナーに関する記事:(2006年12月31日検索)〕。 シャクルトンの建てた計画は、自身は自ら率いる探検隊でヴァーセル湾に向かいそこから大陸横断を始め、一方、別働隊に物資をロス棚氷へ運ばせて、3000kmの大陸横断行に要する物資集積所を設置させる、というものである。結果から言うと、シャクルトンの探検隊とロス海支隊のどちらも、途中で遭難した。二つの隊のうち「エンデュアランス号」でウェッデル海へ向かったシャクルトンの物語の方がよく知られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「帝国南極横断探検隊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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