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帝拳プロモーション(ていけんプロモーション)は、東京都北区に在るプロボクシングのプロモートカンパニー、東京都新宿区神楽坂に在るボクシングジムの運営母体。 == 沿革 == 1926年7月、渡辺勇次郎率いる日本拳闘倶楽部と袂を分かった荻野貞行が新橋駅近くに「帝国拳闘会拳道社」として設立。実業家だった荻野の父の紹介により後に日本ボクシングコミッション(JBC)初代コミッショナーとなる田邊宗英が初代会長に就任し、師範に荻野、助師範に佐藤東洋、滝沢吉助、吉本武雄、マネージャーとして荻野とは立教大学の同級生だった本田明が参加した〔佐藤彰雄/スポーツEYE/久々に見たい敏腕プロモーターの仕掛け 〕〔JBC誕生への道のり・スター誕生! BOXING MASTER 2009年11月5日〕。現存する国内ボクシングジムでは東京拳闘会に次いで2番目に古い。田邊会長が後楽園スタヂアム(現・東京ドーム)の取締役になるとともに本田マネージャーが2代目会長に就任し、戦後の1946年に「帝拳株式会社」として法人化、ジム名を「王子拳道会」とした後、1954年より現ジム名。王子拳道会時代には日本初の世界王者になる前の白井義男も所属していた。 1965年7月3日に本田明が死去し、先代会長の次男で立教高校3年であった、当時17歳の本田明彦が新会長就任。現在実質的にジム内を切り盛りするマネージャーは長野ハル。元世界王者の小林弘(中村ジムOB)も以前は帝拳でトレーナーをしていた。後にキックボクシング生みの親となる野口修がプロモーター修行していた時期もある。本田の立教の同窓であるベストセラーズ社長岩瀬順三も物心両面で絶大な支援をしていた(浜田剛史ら一部所属選手もベストセラーズに勤務していた)。 なお以前のジムは、東京の北区王子や新宿区の早稲田や四谷に在った。現在の練習場は、1998年6月1日にオープンしたものである。また、大阪帝拳もかつては、大阪市都島区京橋に在った。 2007年3月18日に、本田会長がプロモート業に専念するため浜田剛史が、新設の代表に就任した。 新日本仙台ボクシングジムOB田中繊大やプロ・アマ共にボクサー経験皆無な(日本大学文理学部体育学科卒業生でアメフトの強豪日本大学フェニックストレーナー経験者、プロゴルファー倉本昌弘もサポートする)山本忠雄_(スポーツトレーナー)も指導者として採用している。 2009年3月チャンピオン・カーニバルでのミニマム級日本王座決定戦で所属選手辻昌建がKO負けにより死亡というリング禍が発生。その直後2週間ほど喪に服し休業。その後、一時期はウェブサイトを閉鎖し、新規練習生の受け入れを中止した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「帝拳プロモーション」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Teiken Boxing Gym 」があります。 スポンサード リンク
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