翻訳と辞書
Words near each other
・ 師岡カリーマ・エルサムニー
・ 師岡一羽
・ 師岡佑行
・ 師岡宏次
・ 師岡康子
・ 師岡文男
・ 師岡正雄
・ 師岡正雄 サタデーショウアップスポーツ
・ 師岡正雄のショウアップナイター編集部!
・ 師岡熊野神社
師岡重経
・ 師崎村
・ 師崎港
・ 師崎漁港市場
・ 師崎町
・ 師弟
・ 師弟関係
・ 師恩
・ 師恩の恵
・ 師成親王


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

師岡重経 : ミニ英和和英辞書
師岡重経[もろおか しげつね]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [し]
 【名詞】 1. (1) teacher 2. master 3. one's mentor 4. (2) the Reverend
: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
: [けい, たていと]
 (n) (weaving) warp

師岡重経 : ウィキペディア日本語版
師岡重経[もろおか しげつね]
師岡 重経(もろおか しげつね、生没年未詳)平安時代末期、鎌倉時代初期の武将。重保(しげやす)とも。武蔵国師岡保(現在の横浜市神奈川区)を本拠地とする鎌倉幕府御家人葛貫能隆の三男で、河越重頼の弟。桓武平氏の流れを汲む秩父氏の一族。
保元元年(1156年)7月、兄・重頼と共に保元の乱源義朝の陣に従う。
治承4年(1180年)義朝の遺児・源頼朝が挙兵したのち傘下に入り、頼朝の嫡男・源頼家が誕生した際に鳴弦役を務めている。
寿永3年(1184年)8月6日、一ノ谷の戦い後に頼朝の弟、源義経が鎌倉の許可無く朝廷から検非違使任官を受け、頼朝の怒りを買う。この時、重経も共に兵衛尉に任官しており、後白河法皇の元に任官の挨拶に行った義経に「御共衛府」(おとものえふ)として随行している(大夫尉義経畏申記)。のちに頼朝から重経の任官について「勘当を許して本領を返してやろうとしたものを、今となっては本領を返す事は出来ない」と罵られている。(「勘当」は頼朝の挙兵当初に秩父一族が敵対した事を指すと思われる)
この直後に姪である重頼の娘(郷御前)が義経に嫁ぐ。一年後に頼朝と義経が対立すると、重頼は嫡男・重房と共に頼朝によって誅殺されたが、重経はその後も御家人として幕府に仕え、義経が自害した後の文治5年(1189年)7月19日の奥州合戦に従軍している。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「師岡重経」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.