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『木枯し紋次郎』(こがらしもんじろう)は、 * 笹沢左保の股旅物時代小説。またその主人公の異名。 * 上記小説を原作とし、フジテレビ系列で1972年1月1日より放映されたテレビドラマ。以下詳述。 * 同じく同小説を原作とした、1972年東映制作の映画。菅原文太の主演で『木枯し紋次郎』、『木枯し紋次郎 関わりござんせん』の2本が制作されたが、ドラマと直接の関連性はなく、アクションを中心としたストーリー仕立てになっている。これについても以下詳述。 == 概要 == テレビ局が制作費を調達(スポンサーからの広告料でも足りない制作費は、テレビ局が負担)して下請けの制作会社に支給する「自主制作作品」とは異なり、放送枠を買った広告代理店が制作費を調達して制作会社に支給する「持ち込み制作作品」〔『キャラクターメイキングの黄金則』(著:金子満、近藤邦雄。発売:株式会社ボーンデジタル)44頁〕で、広告代理店は電通、制作は電通の関連企業であるC.A.Lに一任された。 1971年の春頃、既にシリーズ監修と演出に決定していた市川崑からの要請で、電通ラジオ・テレビ局企画室・プロデューサーの松前洋一が、部下の坂梨港〔電通の企画プロデューサーとして、『一休さん』『まんがことわざ事典』などのアニメ作品や数々のドラマ作品を手がけた。〕(大映東京宣伝部出身)を通じて、大映京都撮影所の美術監督だった西岡善信に本作への協力を打診。この打診には、市川が古巣の大映京都で撮りたいと希望していた事と、大映本社の倒産危機、という切迫した状況でも制作可能か?という確認の意味も含まれていた。乞われるままに西岡が上京してみると制作準備はかなり進行しており、フジテレビジョンで『浮世絵 女ねずみ小僧』の後番組として、放送枠が「土曜日22時30分開始の1時間枠」であることやC.A.Lの制作、中村敦夫の主演も決定済みだった。市川は、大映京都撮影所の協力も決定したオールスタッフ打ち合わせの席で「好きに遊んでくれ(自分たちのやりたいようにやれ)」と激励、当時20代から30代の若手が殆どだった各パートを奮い立たせた。〔『実録テレビ時代劇 ちゃんばらクロニクル1953-1998』(著:能村庸一、発行:東京新聞出版局)179 - 180頁〕。しかし、第1シリーズの2話分を撮り終えた1971年11月21日に大映が倒産。管財人による大映京都撮影所の差し押さえで、制作中断の危機にあう。制作に参加した93人の大映京都撮影所スタッフ(大映の契約スタッフ)は倒産した会社から給与も支払われず、早朝から深夜まで仕事を続けながら「完成まで仕事をさせてください。私たちに残っているのは活動屋根性だけです」という世間の常識を超えた西岡の訴えに、管財人は根負けして撮影所の差し押さえを1ヶ月間延期する。その間の年明け早々には東映の紹介で、地元のレンタルスタジオだった日本京映撮影所で制作を続行。西岡たちは別資本の新会社「映像京都」も設立し、映像京都には、森一生、三隅研次、安田公義、池広一夫、井上昭ら10人の監督や、美術の内藤昭、撮影の宮川一夫、森田富士郎、照明の中岡源権、録音の大谷巌以外にも、中村努や徳田良雄などの大映社員が参加した〔『実録テレビ時代劇 ちゃんばらクロニクル1953-1998』183 - 184頁〕。 番組は「市川崑劇場」と銘打たれ、1972年の元日に放送開始。市川は監修と第1シリーズの1話 - 3話・18話では演出(監督)を務めている。 元々原作の笹沢は紋次郎を田宮二郎をモデルにイメージしていたが、「主役は新人で」という市川の意向により、元・俳優座の若手実力派で当時すでに準主役級の俳優として活躍していながらも、一般的な知名度は必ずしも高くはなかった中村敦夫が紋次郎役に抜擢された。 劇中で紋次郎が口にする決め台詞として「あっしには関わりのないことでござんす」が流行語にもなった。しかしテレビ版では「あっしにゃぁ関わりのねぇこって…」と答えるのが定番であり、中村紋次郎の台詞の「ねぇ」が「ない」に替わり さらに、無宿の渡世人という設定から語尾に「…ござんす」が付けられ、誤って流布したものである。ちなみに菅原文太主演の東映版では「…ござんす」となっており、結果として、東映版の決め台詞が普及した事になる。 またこのドラマの主題歌『だれかが風の中で』は、作詞を市川の妻で市川監督作品のほぼすべてに関わった名脚本家の和田夏十、作曲をフォークバンド・六文銭を率いるフォークシンガーの小室等が担当。その力強く希望に満ちた歌詞と、西部劇のテーマ曲を思わせるような軽快なメロディーは、上條恒彦の歌声と相まっておよそ時代劇には似つかわしくないものだったが、逆にその新鮮さが幅広い支持を得ることになり、結果的に1972年だけでシングル23万枚を売り上げる同年度屈指の大ヒット曲となった。 本作品は、これまでの股旅物の主流であった「義理人情に厚く腕に覚えのある旅の博徒(無宿人)が、旅先の街を牛耳る地回りや役人らを次々に倒し、善良な市井の人々を救い、立ち去っていく」といった定番スタイルを排し、他人との関わりを極力避け、己の腕一本で生きようとする紋次郎のニヒルなスタイルと、主演の中村敦夫のクールな佇まいが見事にマッチ。22時30分開始というゴールデンタイムから外れた時間帯にも関わらず、第1シーズンでは毎週の視聴率が30パーセントを超え、最高視聴率が38パーセントを記録する大人気番組になった〔『キャラクターメイキングの黄金則』(著:金子満、近藤邦雄。発売:株式会社ボーンデジタル)44頁〕。殺陣師の美山晋八は、これまでの時代劇にありがちだったスタイリッシュな殺陣を捨て、ひたすら走り抜ける紋次郎など、博徒の喧嘩も想定した殺陣を独自に考案。当時の博徒が銘のある刀を持つことなどありえず、刀の手入れをすることもないため、通常時代劇に見られる「相手が斬りかかってきた時に、刀で受ける」などの行為は自分の刀が折れてしまうので行わず、また、正式な剣術を身につけていないため、刀は斬るというより、振り回しながら叩きつけたり、剣先で突き刺すといった目的で使われるなど、リアリティを重視した擬斗がシリーズ全編を通して展開されている。主演の中村敦夫が途中でアキレス腱を切る事故に見舞われたが、その後のスタンドインを大林丈史と阿藤海が務めることで制作は続行された〔『実録テレビ時代劇 ちゃんばらクロニクル1953-1998』185頁〕。 ノンクレジットで参加したフジテレビジョン編成部の金子満プロデューサーは、過去にメトロ・ゴールドウィン・メイヤーでアシスタント・プロデューサーも担当した経験から「テレビで血を見せると絶対に茶の間から拒否され、ヒットしない」という信念を持っており、第1話の試写でも市川崑が演出した凄惨なアクションシーンに「これでは受け取れません」と、毅然とした態度でNGを告げて周りを仰天させる。テレビ番組における金子の持論に対し、市川も「そういう方針もあるよね。ようし、それでいこう」と理解することで、金子は「血はともかく、映像は素晴らしいものだった」と当時を回願する〔『実録テレビ時代劇 ちゃんばらクロニクル1953-1998』185頁〕。近年の金子はシナリオ制作に必要なリマインダー〔『コンテンツを面白くする シナリオライティングの黄金則』(著:金子満、発売:株式会社ボーンデジタル)226頁からの記述によれば、英語のReminderとは「思い出させるもの」という意味を指す。著者の金子は、視聴から長い時間を経てもその映像コンテンツを思い起こさせる印象的な筋立てや描写などをリマインダーと定義している。〕の存在も指摘しており、「喧嘩の仕方や衣裳、食事もヤクザらしいリアリティを持たせて描き、最初と最後には情緒たっぷりのナレーションを毎回同じ時間に同じ場所で流す」本作品ならではの特色をポジティブ・リマインダー、「絶対に血のアップを撮らせない」特色をネガティブ・リマインダーと命名。後者のネガティブ・リマインダーを守れなかった後のシリーズは、第1シリーズほどの人気を得られなかったと分析している〔『コンテンツを面白くする シナリオライティングの黄金則』234 - 235頁〕。 1977年には『新・木枯し紋次郎』(全26話)が製作され、東京12チャンネルで放映された。中村敦夫は主演だけでなく、やしきたかじんが歌う主題歌『焼けた道』(作曲:猪俣公章)の作詞も手がけたが、ヒットには至らなかった。また本作での紋次郎の決め台詞は「あっしには言い訳なんざ、ござんせん」だったが、これも前作ほどの話題とはならなかった。 1993年には、中村敦夫主演で映画『帰って来た木枯し紋次郎』が東宝配給で制作された。こちらは従来の中村敦夫主演のテレビ版の続編であり、このために原作者の笹沢左保が新たにシノプシスを書き下ろし(小説としては発表されていない)、監督も市川崑が務めた。当初はTVスペシャルのために製作されたが、出来栄えが良かったため急遽劇場上映が決定した。主題歌も、テレビ版の『だれかが風の中で』が使われている。この作品では、紋次郎の台詞が東映版に準じた「あっしには関わりのねぇことでござんす」となっている。のちにフジテレビ系列でテレビ放映もされた。 1990年には岩城滉一、2009年には江口洋介の主演で単発のスペシャルドラマが製作された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木枯し紋次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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