|
(n) direct appeal to the throne by the military =========================== ・ 帷幄 : [いあく] 【名詞】 1. headquarters 2. general staff ・ 帷幄上奏 : [いあくじょうそう] (n) direct appeal to the throne by the military ・ 上 : [じょう] (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior ・ 上奏 : [じょうそう] (n,vs) report to the throne
帷幄上奏(いあくじょうそう)とは、君主制国家において、帷幄機関である軍部が軍事に関する事項を君主に対して上奏すること。帷幄とは「帷をめぐらせた場所」のこと。 ドイツ帝国およびその影響を受けた日本(大日本帝国)において制度化された。本項では日本における帷幄上奏について述べる。 ==概要== 1889年(明治22年)制定の大日本帝国憲法によって一般統治権と軍の統帥権の分離が明記されたが、同年の内閣官制第7条によりこれが制度化され〔第七条 事ノ軍機軍令ニ係リ奏上スルモノハ天皇ノ旨ニ依リ之ヲ内閣ニ下付セラルルノ件ヲ除ク外陸軍大臣海軍大臣ヨリ内閣総理大臣ニ報告スヘシ〕、軍の統帥権は内閣総理大臣の国務上の輔弼事項の例外とされた。 本来、国務大臣は憲法上、帝国議会に対してその責任を負うが、権力分立の外側にあった統帥部(帷幄機関)はその責任がなかった。また、帷幄上奏が認められていたのは、軍事のうちの軍機・軍令に関する問題のみであり、残る軍政に関しては陸軍大臣・海軍大臣が国務大臣の一員として内閣総理大臣を通じて上奏すべき問題とされていた。 ところが、純粋たる帷幄機関の代表である参謀総長や軍令部総長のみならず、国務大臣である陸軍大臣・海軍大臣までもが、本来は内閣の管轄である軍政一般に関する問題までを統帥権の一部と位置づけて帷幄上奏を行った事や、両大臣が軍部大臣現役武官制によって現職の大将・中将に限定されていた事から、軍部が政府・議会を軽視する風潮を生み、結果的に軍部の暴走を招く一因となったといわれる。 1909年(明治42年)9月12日制定の「軍令に関する件」は「統帥権の独立」を明確に規定し、更に元帥や軍事参議官にも帷幄上奏権を認めた。こうした軍令と帷幄上奏のあり方については、立憲主義の精神に反し憲法上許されないとする違憲論も存在した。1912年(大正元年)の陸軍大臣による帷幄上奏による二個師団増設が認可され、これを権限の逸脱であるとして拒否した第2次西園寺内閣が軍部によって倒されると、国民の反発が高まり、第1次護憲運動の原因となった。これを機に再び違憲論が高まり、吉野作造が「帷幄上奏廃止論」を唱えた〔立憲政友会ではシベリア出兵における政府と軍部の対立から「帷幄上奏廃止」と「軍部大臣文官制」を掲げたが、元陸軍大臣の田中義一を総裁に迎えた後に田中の要求によって廃止された。〕。 第一次世界大戦後の総力戦の時代に入ると、単に軍事力のみでの戦争遂行は不可能となり、統帥権干犯問題をめぐる争い〔1930年のロンドン海軍軍縮条約締結に反対する軍令部長加藤寛治が条約反対の帷幄上奏を行おうとしたが、侍従長で前任の軍令部長でもある鈴木貫太郎が軍令部長の権限を逸脱すると反対したため帷幄上奏が行えず、条約締結後に加藤は帷幄上奏を行って辞表を提出した。なお、この出来事が後に鈴木が二・二六事件の標的となった一因であると言われている。〕の中で、 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「帷幄上奏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|