|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 常 : [とわ, じょう] 1. (adj-na,n) eternity 2. perpetuity 3. immortality ・ 光 : [ひかり] 【名詞】 1. light ・ 円 : [まる, えん] 【名詞】 1. (1) Yen 2. money 3. (2) circle ・ 円満 : [えんまん] 1. (adj-na,n) perfection 2. harmony 3. peace 4. smoothness 5. completeness 6. satisfaction 7. integrity ・ 寺 : [てら] 【名詞】 1. temple
常光円満寺(じょうこうえんまんじ)は大阪府吹田市元町にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は慧日山。摂津八十八ヶ所の第四十二番札所。開山は行基(ぎょうき)、本尊は聖観世音菩薩である。 == 歴史 == *行基の布教道場 寺の縁起によれば、聖武天皇の天平七年(735)行基の開創とされる。行基は夢の中に牛頭天王が現れ「吹田に聖なる香木がある」というお告げを聞き吹田に来てみると、白砂青松の砂浜に、夢のお告げ通り一本の香木が打ち上げられていたと云います。僧行基は、その香木で聖観音菩薩像を彫刻し、この場所を聖地としてお堂を建て、聖観音菩薩像を本尊としてまつられました。このお堂は浜辺に建てられたことから、人々はいつしか「浜の堂」と呼ぶようになり、行基の布教道場となったことが常光円満寺文書に記述があります。智慧を授かる為に日夜光明が絶えず、誰云うことなく山号は慧日山となり、「常に光明が放たれる寺」ということから「常光寺」と改めたと云います。治承2年(1178年)隣地吉志部村(現在の岸部)にあった円満寺の仏像を移して、同寺の寺号を加えて常光円満寺と号されました。 *足利将軍と吹田氏の菩提寺として 盛時には薬師院や南坊など七堂伽藍が甍をならべ、塔頭僧坊が13を数え数万坪という広大な寺領荘園を領有していた荘厳偉容は四燐を圧するほど…と伝えられております。応安二年(1396)足利三代将軍義満は、ご本尊・聖観世音菩薩に深く帰依され、本院を祈願所となされ、足利一門の武運長久を祈願されてまいりました。 以後常光円満寺は足利将軍の菩提寺として初代足利尊氏以下歴代の祖先の位牌をおまつりし、回向を勤め、寺紋も足利氏の引両紋を拝受されています。 また永享年間(1429)頃には、当地の豪族たる吹田河内守重通ら吹田氏から本院に広大な土地を寄進されたことが、当寺に伝世する「常光円満寺文書」に記述があります。(吹田氏は興福寺領吹田荘の代官だったと考えられ、戦国時代末期には次第に池田氏に隷属するようになり、池田氏の没落後は荒木村重に従った。) このように足利将軍や当地方の吹田氏が、祈願や菩提所を当院に求めているのは、自己勢力集結目的以外に祖先の追善供養や乱世を乗り切るために安心立命の加護を常光円満寺に求められていたことが理解できます。 後、常光円満寺は応仁の乱(1467)で陣僧をもって防戦に努めるも、兵火によって全焼され広大な寺領荘園の多くを失うことになります。 寛文十一年(1671)教範和尚によって再建されましたが、以後本堂や庫裡(くり)も数度の修復を行い、昭和30年代からも老朽の為、先代住職の代から永きにかけて昭和の修復がなされました。 〔井上 正雄 『大阪府全志』 (1922)〕。現在の本堂は昭和56年(1981年)の再建である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「常光円満寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|