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常盤 聡(ときわ さとし、1987年5月14日 - )は、東京都八王子市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ザスパクサツ群馬に所属する。ポジションはフォワード(FW)。 == 来歴 == 小学校1年時にサッカーを始める。FC東京の下部組織に加入し、長島裕明の厳しい指導の下〔【J2日記】水戸:一矢報いるゴールは、F東京への、長島裕明コーチへの恩返し Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2011年6月28日)〕2005年のJリーグユース選手権では15得点を挙げ、得点ランキング2位に入るなどの活躍を見せた。同期に村田翔、伊藤龍、永露大輔などがいた。2006年に進学した東京農業大学では、高い身体能力と技術を発揮して〔選手データ 関東大学サッカー連盟〕2年時から関東2部リーグの得点ランキング上位に定着し、4年時には副将としてチームを支え、伊藤大介(順天堂大学)とともに4年間の最多出場選手として表彰された〔【関東大学サッカーリーグ戦】第89回大会 2部リーグ 最終順位・表彰一覧 関東大学サッカー連盟、2009.11.22〕。同期に鳴海勝也。 2010年、水戸ホーリーホックに入団〔 水戸ホーリーホック (2009年12月8日)〕。同年4月4日のJ2第5節柏戦でJリーグ初出場を果たし、9月1日のJ2第19節大分戦でJリーグ初得点を挙げた。チームメートの吉原宏太からは「チームでもっともFWらしいFW」と実力を認められた。2011年は途中出場が多く〔選手出場記録 水戸ホーリーホック 2011Jリーグ ディビジョン2 Jリーグ (2011年12月3日)〕、出場機会を減らす中でも前年と同じく4得点を挙げたが、契約満了により退団〔 水戸ホーリーホック、2011.11.30〕。 2012年、ギラヴァンツ北九州へ移籍〔 水戸ホーリーホック (2012年1月13日)〕〔常盤 聡選手 完全移籍加入のお知らせ ギラヴァンツ北九州、2012.01.13〕。三浦泰年監督の下、スピードと突破力を武器に複数の攻撃的ポジションをこなし5得点を挙げた。 2013年、三浦が新たに東京ヴェルディの監督に就任すると、三浦サッカーの欠かせないピースとして同クラブへ移籍〔常盤聡選手 東京ヴェルディへ完全移籍のお知らせ ギラヴァンツ北九州 (2012年12月13日)〕〔常盤聡選手移籍加入のお知らせ 東京ヴェルディ、2012.12.13〕。同年は主に高原直泰と2トップでコンビを組んだ〔【NON STOP J2】-J2のススメ- 高原直泰 (東京V) Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2013年6月7日)〕。2014年は攻撃の中心となり〔東京V 常盤聡、攻撃の中心としての自覚 blogola (2014年7月16日)〕チーム最多の得点を記録。シーズン終了後、契約満了により退団〔契約満了選手のお知らせ 東京ヴェルディ、2014.11.29〕。 2015年、ロアッソ熊本に加入〔常盤聡選手移籍のお知らせ 東京ヴェルディ (2014年12月27日)〕〔常盤 聡選手、東京ヴェルディより移籍加入のお知らせ ロアッソ熊本、2014.12.27〕。主に左サイドハーフでのプレーを続けたが、守備的なチームにあって持ち前の攻撃力を活かせず、徐々に出番を失いプロ入り以来初となる無得点でシーズンを終えた。同年末、契約満了により退団〔契約満了選手のお知らせ ロアッソ熊本 (2015年12月2日)〕。 2016年、ザスパクサツ群馬・服部浩紀監督からの2年越しのオファーに応え同クラブへ完全移籍〔常盤 聡選手、ザスパクサツ群馬へ完全移籍のお知らせ ロアッソ熊本 (2016年1月6日)〕〔【トップチーム】常盤聡選手 ロアッソ熊本より完全移籍加入のお知らせ ザスパクサツ群馬 (2016年1月6日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「常盤聡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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