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常設国際アルタイ学会(じょうせつこくさいアルタイがっかい)は、1957年当時の西ドイツ、ミュンヘンで開催中の第24回国際東方学者会議(International Congress of Orientalist、ICO)の最中、ボン大学教授のモンゴル学者ヴァルター・ハイシヒWalther Heissigの提言により、10名余のヨーロッパ人学者によって創設された。翌1958年マインツで第1回会議が開催され、その後毎年、世界各地で開催されてきた。英語名は、Permanent International Altaisitic Conference、略称「PIAC」。 == 概要 == アルタイ学とは、トルコ語、モンゴル語、ツングース語など、アルタイ山脈の東西に広がる言語をアルタイ語族と総称することから、これらの言語を使用する、中央ユーラシアの古代遊牧民にはじまる歴史、言語、民族学、文学などの研究のことを指すようになった。言語学に限って言えば、韓国語と日本語の専門家も加わることがある。 第二次世界大戦後、アルタイ学者の研究対象である中央ユーラシアは、その大部分が共産圏に入り、研究者も東西に分断された。1957年は、ソ連でフルシチョフ党第一書記が東西平和共存を呼びかけ、デタントが始まった年であり、その機運に乗じて、東西陣営に分かれた研究者間の交流をはかるために本学会が創設されたのである。 初代書記長には、学会創設を提言したボン大学のハイシヒが選ばれ、第3回目の会議で、ハンガリー生まれで当時英国ケンブリッジ大学東洋学部で教えていたデニス・サイナーDenis Sinorが書記長に選ばれた。サイナーはこのあと5年ごとの再選のたびに書記長に選ばれ続けたが、2006年ベルリンで開催された第49回会議で本人自ら引退を宣言し、2007年ロシア・タタルスタン共和国カザンで開催された第50回会議において、ベルリン自由大学のトルコ学者バーバラ・ケルナー・ハインケレBarbara Kellner-Heinkeleが書記長に選ばれ、2010年現在にいたっている。 サイナーは1962年にアメリカ合衆国インディアナ大学に移り、常設国際アルタイ学会の本部もここになった。サイナー個人の編集によるPIAC News Letterは、不定期ながら、2002年の27号まで発行され、メンバーに郵送された。インディアナ大学は、第5回会議の開催を記念してインディアナ大学アルタイ学賞を設け、今日にいたる。 インディアナ大学アルタイ学賞(通称PIACメダル)は、常設国際アルタイ学会が「アルタイ学の進展に顕著な功績があった」と認めた学者に贈られる賞で、毎年の学会のビジネス・ミーティングにおいて受賞者が発表され、出席していれば、皆の前で名前が刻まれた純金のメダルが授与される。出席していなければ、あとで本人にメダルが届けられる。選定方法は、毎年の学会中、PIACメンバーによる無記名投票により、賞の選考委員三名が選ばれ、PIAC書記長Secretary General、その年の学会主催者President、選考委員あわせて五名からなる国際委員会International Committeeが、次年のメダル受賞者を選ぶ仕組みである。PIACメンバーとは、過去二回、自国以外で開催された学会に参加し、投票時には三回目の参加を果たした者のことである。 日本のアルタイ学者も初期からしばしば参加し、常設国際アルタイ学会の特徴である、参加者全員が平等に自己紹介と最近の業績について報告する権利のある「コンフェションズConfessions(告白)」を取り入れた「日本アルタイ学会(通称野尻湖クリルタイ)」を、1964年に有志で創設した。常設国際アルタイ学会の日本人で最多の参加者は岡田英弘で、参加した会議ほとんどすべてについて学会報告を発表している。その妻の宮脇淳子も1985年以来しばしば岡田とともに参加し、1995年には岡田が会長、宮脇が事務局長となり、日本の川崎市で第38回会議を開催した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「常設国際アルタイ学会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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