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常設国際司法裁判所(、、両言語共に正式名)は、1922年に設立された国際連盟における国際司法機関で、国際社会に初めて登場した本格的な常設の司法裁判所である〔杉原(2007)418頁。〕。オランダのハーグにある平和宮に本部を置いていた。1922年から1940年までの期間に裁判を行ったが、処理した事件の件数については38の判決と27のとする説や〔Maechling, Charles, Jr. (Winter 1978-1979). "The Hollow Chamber of the International Court" , ''Foreign Policy'' 33: 101-120.〕、21の判決と26の勧告的意見とする説がある〔筒井(2002)183頁。本書は、「数え方によって多少の違いが生ずる」とも言う。〕。1940年、ナチス・ドイツがオランダに侵攻したのを機に活動を停止し、1946年4月に国際連盟とともに消滅した〔筒井(2002)183頁。〕。国際連合のもとに設立された国際司法裁判所がこれを継承した。 == 歴史 == === 創設期 === かねてより国際法廷の必要性は長く主張されてきた。1305年には が、1623年にはが主張している〔Hudson (1922) p.245〕。近年における国際司法の概念は1899年に開催された万国平和会議において提唱された。ここでは国家相互間の仲裁が、紛争を解決するのに最も簡易な手段であるとされ、仲裁のための判事候補者名簿として常設仲裁裁判所が一時的なものとして設置された。1907年に開催された二回目の万国平和会議では、常設仲裁司法裁判所条約( )の草案が起草されたが、判事を選出する手続きについて各国の間で意見の一致が見られず、そのような機構を設置することはできなかった〔Scott (1920) p.581〕。第一次世界大戦を契機として、多くの識者たちはある種の「世界法廷」と言える組織の必要性を認識することになった〔Hudson (1922) p.246〕。1920年1月に発効した国際連盟規約第14条では、「聯盟理事会ハ、常設国際司法裁判所設置案ヲ作成シ、之ヲ聯盟国ノ採択ニ付スヘシ。」〔 当サイトにおける翻訳を引用。なお、国際連盟規約には日本語の正文は存在しない。〕と規定されていた〔Hudson (1922) p.247〕。1920年6月、国際連盟が任命した法律家委員会が、常設的な司法裁判所の規程の草案を作成し、判事任命の具体的指針を示した〔Scott (1920) p.582〕。このようにして作成されたは、1920年12月13日にジュネーヴで採択された〔Text in League of Nations Treaty Series, vol. 6, pp. 380-413.〕。 1922年1月30日、ハーグの平和宮にて裁判所は業務を開始した。最初の開廷期においては裁判手続の策定や職員の任命などの先決的な業務が行われ、9人の裁判官と3人の代理人( 、、の3名が出席できなかったため)が出席した〔Hudson (January 1923) p.15〕。裁判所はを裁判長、を副裁判長に選出し、1ヶ月後に副裁判長はに代わった〔Hudson (1925) p.49〕。2月14日、裁判所は公式に開廷し、3月24日に手続規則を定め最初の開廷期を終えた〔Hudson (January 1923) p.16〕。裁判所が最初に紛争を審理するために開廷したのは6月15日であった〔Hammarskjold (1923) p.704〕。1922年には、裁判所は3つの勧告的意見を下したが、それらはすべてヴェルサイユ条約により設置された国際労働機関に関連したものであった 〔 ''Designation of the Workers' Delegate for the Netherlands at the Third Session of the International Labour Conference'', PCIJ Series B, No.01 〕 〔 ''Competence of the ILO in regard to International Regulation of the Conditions of the Labour of Persons Employed in Agriculture'', PCIJ Series B, No.02 〕 〔 ''Competence of the ILO to Examine Proposal for the Organization and Development of the Methods of Agricultural Production'', PCIJ Series B, No.03 〕。 当初、政治家、法曹関係者、あるいは学者の裁判所への評判は良かった。元英国司法長官のは、「弁護士ではない私たちは、国際的な司法裁判所の設立を、私たちが追求してきた学問の進化の証としてとらえてもよいのではないか?」と述べ、元慶應義塾大学教授で法学者のジョン・ヘンリー・ウィグモアは、裁判所の設立が「すべての法律家に大きな衝撃を与えるだろう」と述べた。また元ハーバード大学教授で同じく法学者のは、「私たちの世代が夢見ていたことの一つが、私たちが生きているうちに実現した。」と述べた〔Hudson (January 1923) p.27〕。アメリカ合衆国が裁判所規程の当事国となっていなかったにもかかわらずアメリカ人判事を任命したこともまた、大きな賞賛を集めた。この時点では多くの者はアメリカが近い将来当事国となるであろうと考えていた〔Hudson (January 1923) p.28〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「常設国際司法裁判所」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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