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常陸親王 : ミニ英和和英辞書
常陸親王[とわ, じょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とわ, じょう]
  1. (adj-na,n) eternity 2. perpetuity 3. immortality
: [りく, ろく]
 (adj-na,n) six (used in legal documents)
親王 : [しんのう]
 【名詞】 1. prince of royal blood 2. Imperial prince
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

常陸親王 ( リダイレクト:満良親王 ) : ウィキペディア日本語版
満良親王[はなぞののみや]
満良親王〔同時代史料には「花園宮」と呼ばれているため、はもちろん親王宣下の有無についても本来不詳であるが、一般に流布している人名辞典や系譜類を参照し、仮に満良親王を記事名として採用した。なお、「満良」の諱は近世の吹上本『帝王系図』が初出とされ、また、親王宣下は『南朝編年記略』に延元3年3月のこととある。〕(みつよししんのう/みつなが― 、生没年不詳)は、南北朝時代南朝皇族後醍醐天皇の第十一皇子で、母は参議五辻宗親の女・中納言典侍親子である。花園宮(はなぞののみや)と号し、土佐南軍の統率に当たった。名前の読みが二種類あることについては、後醍醐天皇の皇子名の読みを参照。
== 経歴 ==
南朝再建計画の一環として、延元3年/暦応元年(1338年)9月牧宮懐良親王とともに伊勢大湊から出港して土佐に入る。新田綿打入道・金沢左近将監など四国の南軍を従えて、延元5年/暦応3年(1340年)正月大高坂松王丸の救援のため潮江山に布陣し、細川定禅の要請を受けた北軍と交戦するも、遂に敗北して大高坂城は陥落した。興国3年/康永元年(1342年)頃にはほぼ勢力を失って、西国へと落ち延びたらしい。その後の消息は不詳だが、遠江方広寺開山したとされる臨済宗無文元選や、正平6年/観応2年(1351年周防で盛んに令旨を発給している常陸親王(ひたちのしんのう、以下の節で記述)は、花園宮の後身であるとする説がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「満良親王」の詳細全文を読む




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