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幡随意(ばんずいい、天文11年10月15日(1542年11月21日)- 慶長20年1月5日(1615年2月2日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての浄土宗の学僧。相模国の出身。号は演蓮社智誉向阿白道。 幡随意は天文11年に相模国藤沢郷(現在の神奈川県藤沢市)で中世末期の川島党の惣領家・豪族川島氏の子として生まれた。しかし、9歳の頃から出家の志があったといい、11歳の歳には同国の玉縄二伝寺(藤沢市所在)で出家し、幡随意と号した。 その後鎌倉の光明寺で浄土教学を修め、武蔵国川越の蓮馨寺(れんけいじ)の存貞にも学んだ。慶長6年(1601年)徳川家康の命により江戸にて浄土宗法論の奉行役を務め、翌・慶長7年(1602年)に京都百万遍知恩寺の33世住持となる。慶長8年1603年には家康によって招聘され、江戸神田駿河台に新知恩寺(のちの関東十八檀林の一つ幡随院)を開創した。慶長18年(1613年)徳川家康の命により九州に下り、キリシタンの改宗に力を尽くした。和歌山の万性寺を開創後の慶長20年に入寂、74歳であった。 == 参考文献 == *『神田山新知恩寺幡随院』(同寺発行の案内小冊子)。 * * * 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「幡随意」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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