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平井 和正(ひらい かずまさ、1938年(昭和13年)5月13日 - 2015年(平成27年)1月17日)は、神奈川県横須賀市生まれの日本の小説家、SF作家。娘は漫画家の平井摩利。 == 来歴 == 1938年(昭和13年)、横須賀市に3人姉弟の長男として生まれる。手塚治虫の影響を受け、中学2年生で大学ノートに処女小説『消えたX』(長編SF)を執筆、級友に回覧され人気を博し、小説家を志す。神奈川県立横須賀工業高等学校を経て1958年(昭和33年)に中央大学法学部に入学〔自筆年譜(徳間文庫版『新幻魔大戦』収録)より。〕。 1959年(昭和34年)、ハードボイルド小説『夜の干潮』が中央大学ペンクラブ会誌『白門文学』に掲載され、作品が初めて活字になる〔。 1961年(昭和36年)、『殺人地帯』が『SFマガジン』の第1回空想科学小説コンテスト(ハヤカワ・SFコンテストの前身)で奨励賞を受賞する〔。 1962年(昭和37年)、同人誌『宇宙塵』に発表した『レオノーラ』が『SFマガジン』に転載され、商業誌にデビューした。中央大学を卒業〔。 1963年(昭和38年)、原作を担当した漫画『8マン』(画:桑田次郎)が『週刊少年マガジン』誌上で連載開始。この漫画は『エイトマン』としてテレビアニメ化され同時期の『鉄腕アトム』と並ぶ大ヒット作となる。当時はテレビアニメ創成期でSFを理解できる脚本家は少なく、原作者自らがシナリオを担当したほか、豊田有恒ら同時期デビューのSF作家仲間も脚本家として参加した。 その後も漫画原作を手がけ、『エリート』(画:桑田次郎)、『超犬リープ』(画:桑田次郎)、『幻魔大戦』(共同原作および画:石森章太郎)などを相次いで発表する。 1968年(昭和43年)、初の長編小説『メガロポリスの虎』を発表。この時期は「虎の時代」と呼ばれる。 1969年(昭和44年)に発表した長編第2作『アンドロイドお雪』が好評で小説家として蘇生する。しかし同年、『狼男だよ』改竄事件が起こる。出版社に抗議したことにより、翌年に正本が出版されたものの、一時期、大手出版社から小説を出せなくなる。 1970年(昭和45年)、『スパイダーマン』(画:池上遼一)に漫画原作者として途中参加。また、『ウルフガイ』(画:坂口尚)も手がける。なお、『スパイダーマン』に提供したストーリーの中には、すでに発表されていた短編小説のアレンジや、後年『アダルト・ウルフガイ』シリーズに取り入れられるものも含まれている。 1971年(昭和46年)、漫画『ウルフガイ』を小説化した『狼の紋章』を文庫本としてハヤカワSF文庫から発表。小説の文庫本書き下ろしを初めて試みた作家である〔『ハルマゲドン 平井和正ライブラリー第八集』徳間書店 あとがきより〕。また、そのあとがきには当時の作者の心境が書き綴られ、書籍のあとがきのイメージを変えた。その後の多くの平井作品のイラストを担当する、生頼範義とのコンビもこの作品が最初である。同年には日本SFにおけるサイボーグテーマ作品の代表作『サイボーグ・ブルース』や、日本初のハチャハチャ小説『超革命的中学生集団』も書籍化され、小説家として再々スタートの年といえる。後の幻魔大戦シリーズに繋がる劇画ノベル『新幻魔大戦』(画:石森章太郎)を『SFマガジン』に連載したのもこの年である。翌年以降も『ウルフガイ』『アダルト・ウルフガイ』『ゾンビー・ハンター(死霊狩り)』などのシリーズ作品が大ヒットし、読者に支えられ人気作家となる。当時はファンレターにも全て返事を書いていたが、爆発的に増えた読者からのファンレターへの対応が創作活動に支障をきたすまでになる。この時期は「狼の時代」と呼ばれる。 1976年(昭和51年)、GLAの高橋佳子と出会う。人生観の激変により、当時執筆中だった『アダルト・ウルフガイ』シリーズも路線変更となった(『人狼白書』以降)。一時期はGLAに関わり、高橋佳子の著書『真創世記』の編集協力も務めた。その後、宗教団体とは距離を置くことになるが、作品には作者の宗教観が反映されるようになる。『人狼白書』から『真幻魔大戦』(後述)にかけての時期は「天使の時代」と呼ばれる。 1978年(昭和53年)、『死霊狩り』を完結させ、それまで自身の作品テーマとしていた「人類ダメ小説」にピリオドを打つ。この頃、中島梓が平井を「言霊使い」と評した〔中島梓 「ダイナミズムの系譜 -平井和正の展開と転回-」 (『別冊新評 平井和正・豊田有恒集』 新評社、1978年10月) e文庫 『狼の肖像』 収録、PDF版 34頁。〕のをきっかけに自身でも「言霊使い」を名乗るようになる。 1979年(昭和54年)、自身がライフワークと公言する小説版の幻魔大戦シリーズ『幻魔大戦』『真幻魔大戦』に着手(執筆開始順としては『真...』が先)。その後、約5年間にわたり日常生活のほとんどをこの大長編シリーズの執筆に費やす。毎月、数百枚に及ぶ緻密な文章の小説を書き続けるうち、激痛でペンが握れなくなったため1980年代初頭に当時発売されたばかりの富士通製ワープロOASYSを購入〔公式サイトの「近況+」(2001.04.11) 『本とコンピュータ』誌のインタヴューに用意した回答より。また、『平井和正の幻魔宇宙』(徳間書店 1982.10) にはOASYS 100Jで執筆する写真が掲載されている。〕、以来親指シフトキーボードを愛用し作品を量産している。 1984年(昭和59年)、偶然に高橋留美子の漫画『めぞん一刻』を読んだことにより、再び転機が訪れる〔平井はこの時、高橋留美子と高橋佳子が同姓なのは偶然ではなく、自分にとって「高橋」という姓には特別な意味があるに違いない(「高い橋」→「天界」に繋がる)と発言した。〕。また、当時、生頼範義の後を受けるイラストレーターを探していた平井はムック誌『平井和正の幻魔宇宙』の投稿イラストから当時15歳の泉谷あゆみを抜擢する。泉谷は1985年(昭和60年)に『Wolfcrest』(講談社英語文庫)の挿絵でイラストレーターとしてデビューし、翌1986年(昭和61年)には17歳で単行本『ハルマゲドンの少女』のイラストを手がけた。 1985年(昭和60年)、「犬神明の言霊が来た」という理由で『真幻魔大戦』を突如中断し、それまで同作が連載されていた『SFアドベンチャー』誌に『黄金の少女』を連載開始する。これにより、『ウルフガイ』シリーズ再開となった。 1991年(平成3年)、新宗教のカリスマへの批判を含むエッセイ「平井和正『幻魔』を考える」を発表。 インターネットが普及する前のパソコン通信の頃からネットワーク上での活動を行っており、『週刊アスキー』にパソコンの利用レポートを不定期に掲載したり、自らWebサイトで積極的に情報を発信するなど、ITにも明るい一面を見せる。『ボヘミアンガラス・ストリート』は、1994年(平成6年)に書籍の刊行に先立ちアスキーからオンラインノベルとしてパソコン通信商用ネット10社で提供され、オンライン出版のさきがけとなった。活動後期には、過去の作品を含めたほとんどの作品を電子書籍としてWebで発表・配信しており、携帯電話への作品配信もその最初期から行っている。 2015年(平成27年)1月17日、急性心不全により神奈川県鎌倉市の病院において死去した〔8マン、幻魔大戦…SF作家・平井和正さん死去 読売新聞 2015年1月18日閲覧〕。。 死去後、第35回日本SF大賞功績賞を受賞した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平井和正」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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