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平井城(ひらいじょう)は、現在の群馬県藤岡市にあった日本の城である。群馬県指定史跡。 == 歴史・沿革 == 永享10年(1438年)、鎌倉公方足利持氏と関東管領上杉憲実の間に確執が生じ、身の危険を感じた上杉憲実は平井城に逃れた。通説ではこの時に憲実が家臣の長尾忠房に築城させたといわれている。この後、持氏と憲実+幕府の連合軍の間で永享の乱が起きたが、憲実方が勝利した。 文正元年(1466年)に関東管領になった上杉顕定によって拡張されたという。 古くから、平井城が関東管領であった山内上杉氏の拠点であったかのように記す史料〔『喜連川判鑑』〕もあるが、実際には永正9年(1512年)の永正の乱〔黒田基樹『扇谷上杉氏と太田道灌』(岩田書院、2004年)〕もしくは大永年間(1520年代)〔森田真一「山内上杉氏の拠点について -上野国板鼻を中心として-」(初出:『群馬県立歴史博物館紀要』29号(2008年)/所収:黒田基樹 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第一二巻 山内上杉氏』(戒光祥出版、2014年)ISBN 978-4-86403-108-0)〕以降の拠点で、16世紀前半の短期間のものであったとみられている。 天文21年(1552年)、北条氏康に攻め落とされ、時の平井城主の関東管領上杉憲政は越後国の長尾景虎(後の上杉謙信)のもとに逃れた。既に周辺の上野国人勢力や憲政の馬廻まで北条に寝返っていたためである。 永禄3年(1560年)に長尾景虎によって奪回されたが、同年に景虎は関東における拠点を厩橋城(後の前橋城)に移したため、平井城は廃城になった。奪回されて再び上杉本拠地となることを恐れた北条氏が、落城前に城郭を破却していたのではないかとも指摘されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平井城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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