翻訳と辞書
Words near each other
・ 平作川
・ 平価
・ 平価切り上げ
・ 平価切り下げ
・ 平価切下げ
・ 平価法
・ 平侯
・ 平保盛
・ 平信
・ 平信兼
平信基
・ 平信季
・ 平信徒
・ 平信時
・ 平信範
・ 平倉洞
・ 平倉直子
・ 平倉章二
・ 平倉駅
・ 平元線


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

平信基 : ミニ英和和英辞書
平信基[たいら の のぶもと]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
平信 : [へいしん]
 (n) peaceful news
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [き, もとい]
 【名詞】 1. basis 

平信基 : ウィキペディア日本語版
平信基[たいら の のぶもと]

平 信基(たいら の のぶもと)は、平安時代末期の廷臣。桓武平氏高棟王流平信範長男。母は藤原能忠の娘。正四位下内蔵頭
== 生涯 ==
兵範記保元3年2月9日条に信範の娘(藤原脩範室か?)の婚礼の際に婿を迎えた「進士」「勾当」が同母兄弟である信基・信季兄弟と推定されており、進士=文章生であったと見られている。応保3年(1163年)に兵部少輔であったことが『山槐記』同年1月14日条から判明している。
平清盛の正妻である平時子と従兄弟であったことから、平家一門の一員として立身。また、仁安3年(1168年)の院判官代就任以後は後白河院院近臣としても活躍し、左衛門佐左馬権頭修理権大夫を歴任し、寿永2年(1183年)に内蔵頭に至るが、同年源義仲の上京を受けた一門都落ちに随い、西海へ下向した。この時、姉妹が側室となっていた摂政近衛基通に対して平家と行動をともにするよう再三の説得を試みるが、最終的に断念し独り一門の後を追ったとされる。
一門が壊滅した元暦2年(1185年)の壇ノ浦の戦いにおいて捕虜となり、都へと連行される。この際同じく捕虜となった平宗盛平時忠らが都大路を引き廻されたのに対し、信基は合戦で負傷していたために辛うじてこの屈辱を免れたという。
その後審議を経て、備後国流罪となる。文治5年(1189年)には赦免されて帰京するが、その後は任官せず蟄居生活を送った。弟の信季の子親輔を養子として後を継がせたが、その子孫は後世において西洞院家平松家交野家など数家に分かれて繁栄した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「平信基」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.