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平 信季(たいらののぶすえ、天養元年(1144年)?-治承3年7月1日(1179年8月5日))は、平安時代末期の官人。平信範の5男。母は藤原能忠の娘。子に平親輔(平信基養子)・信宗がいる。 保元2年(1157年)、近衛基実政所勾当に任ぜられ、永暦元年(1160年)に六位蔵人となり、翌年左兵衛少尉を兼ねる。応保3年(1163年)、従五位下に叙される。永万2年(1166年)、父・信範が左京権大夫を辞任する代わりに刑部権大輔に任ぜられる。仁安4年(1169年)に従五位上に叙される。承安2年6月12日(1172年)に少納言として初出(『玉葉』、任命年月日不詳)。承安4年(1174年)に九条兼実の家司に任ぜられ、同年長門権守を兼ねる。安元3年(1177年)、正五位下に叙される。『玉葉』のこの年の1月13日条には九条兼実の政所年預であったことが記されている。だが、治承年間に入ると病気がちとなり、同2年の九条良通(兼実次男)の春日祭使や翌年の九条良経(兼実三男)の元服について兼実から奉行を任されながら病気のためにやむなく他者が代わりを務めている。『玉葉』治承3年6月25日条には兼実が信季に見舞いの使者を派遣したところ、(余命短いとして)嫡男信宗に家伝の文書を全て譲ったという報告がされたことが記されている。その直後に危篤に陥り、7月1日に没した。 九条兼実の信頼が厚く、兼実所蔵の平行親の日記を貸し与えられる(『玉葉』安元2年11月22日条)など、兼実の側近としての役割を担ったが、兼実が摂関に就任する以前に没したために、正五位下に留まらざるを得なかった。 == 参考文献 == *米谷豊之祐『平信範 傍流伊勢平氏の興亡を余所目に、摂関家の家司の立場を守り続けた人物』(新風書房、2006年) ISBN 978-4-88269-615-5 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平信季」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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