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平出 涼(ひらいで りょう、1991年7月18日 - )は、山梨県出身のサッカー選手。Jリーグ・カターレ富山所属。ポジションはディフェンダー(DF)及びミッドフィールダー(MF)。 ==来歴== 兄に影響され、小学校1年でサッカーを始める。中学校までは出身地である山梨県のフォルトゥナSCでプレー〔。中3で受けたFC東京U-18セレクションにて倉又寿雄監督の目に留まり、2007年からのFC東京U-18への入団が内定。高校からは親元を離れ上京する。3年時に倉又監督の「コーチングの声をもっと出させたい」という意向でMFからDFにコンバート〔東京中日スポーツ 2010.01.18 7面〕。ディフェンスリーダーを担った〔【2009Jユースサンスタートニックカップ 準決勝 F東京 vs G大阪】試合終了後の各選手コメント J's GOAL (2009年12月23日)〕。2009年9月、U-18同期の阿部巧、重松健太郎とともに翌年からのFC東京トップチーム昇格が発表された〔 FC東京 (2009年9月29日)〕。 2010年9月5日、天皇杯2回戦で公式戦初出場〔「いつも通りできた」F東京のU-19代表DF平出が公式戦デビュー ゲキサカ (2010年9月5日)〕。左サイドバックで起用され無失点勝利に貢献した。城福浩監督からは「少し硬くなっていたが、守備の仕事は果たした」と評価された〔【第90回天皇杯2回戦 FC東京vs駒澤大】城福監督記者会見コメント J's GOAL、2010.09.05〕。 2011年は、J2カターレ富山へ期限付き移籍〔平出 涼選手 カターレ富山へ期限付き移籍決定のお知らせ FC東京 (2011年1月7日)〕〔平出涼選手 FC東京より期限付き移籍加入のお知らせ カターレ富山 (2011年1月7日)〕。富山ではアンカーや3バックの中央で構想され〔【開幕直前! 38クラブ別戦力分析レポート:富山】心機一転の3年目。富山発「3-3-3-1」がJリーグに旋風を巻き起こす! J's GOAL、2011.02.24〕、第1節横浜FC戦でスターティングメンバーとして、3ボランチの中央に配されリーグ戦初出場を果たした。このシーズンは終盤こそ負傷欠場したものの〔平出涼選手の負傷について カターレ富山 (2011年10月14日)〕、ボランチのレギュラーに定着し、守備の要として〔【J2:第26節 富山 vs FC東京】プレビュー J's GOAL、2011.08.28〕中盤でのバランスをとる役割を担った〔【J2:第21節 熊本 vs 富山】プレビュー J's GOAL、2011.07.27〕。その後も移籍期間を延長し富山でプレー。2013年は新布陣採用に伴って〔【J2:第3節 富山 vs 愛媛】プレビュー J's GOAL (2013年3月17日)〕センターバックでの起用が続き、スピードを武器とする守備に磨きをかけた。 2014年からカターレ富山へ完全移籍〔平出涼選手 カターレ富山へ完全移籍のお知らせ FC東京 (2013年12月30日)〕〔平出 涼選手 FC東京より完全移籍加入のお知らせ カターレ富山 (2013年12月30日)〕。同年よりポジション登録もDFとなった。 完全移籍後もDFラインの主力として出場していたが、J3に降格した2015年に岸野靖之監督が就任すると当初は出場機会を失う。しかし第7節に先発で出場すると、監督から「かなり効いていた。誰がみても一番落ち着いていた。ほとんどノーミスだった。チームを助けるプレーができていた。彼が相手に対応している時にはベンチからも安心して見ていられた。」と評価され信頼を獲得、シーズン残り全試合でフルタイム出場を果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平出涼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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