|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 平 : [たいら, ひら] 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm ・ 平和 : [へいわ] 1. (adj-na,n) peace 2. harmony ・ 和 : [わ] 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace ・ 我 : [われ, が] 【名詞】 1. me 2. oneself 3. self 4. ego ・ 我等 : [われら] 【名詞】 1. we 2. us ・ 等 : [など] 1. (suf) and others 2. et alia 3. etc. (ら)
平和を我等に(へいわをわれらに、 原題:Give Peace a Chance)は、1969年にジョン・レノンがプラスティック・オノ・バンド名義で発表したソロ・デビュー曲である。B面はオノ・ヨーコが歌う「ヨーコの心」(Remember Love)。ビート詩のような歌詞とその歌い方はラップの走りとも言われる。 == 解説 == この曲はジョーン・バエズ(Joan Báez)の「勝利を我等に」(We Shall Overcome)に代わるヴェトナム戦争に対する反戦歌・平和のメッセージソングとして作られたが、その狙い通りヒットした。 この曲はレノン=マッカートニー名義で発表された〔2005年に発売されたベスト盤『決定盤ジョン・レノン〜ワーキング・クラス・ヒーロー』ではジョン・レノン名義になっている。〕が、ポール・マッカートニーは作曲やレコーディングには一切関わっていない。この名義措置はビートルズのパートナーであるポールが、「ジョンとヨーコのバラード」を2人で録音した礼にと贈ったものであるとする説がある。ジョン・レノンは「なぜポールの名前が出ているのか、ぼくにもわからないくらいだよ。ポールの名前が出ているのは、別にシングルを出したことと - 最初のものだけどね - ビートルズから本気で離れようとしていたことで、ぼくがちょっとうしろめたく思っていたからなんだ。」と語っている〔出典:「ジョン・レノン PLAYBOY インタビュー」1981年 集英社 111 - 112頁。〕。実際にはヨーコとの共作であり、クレジットをヨーコにしなかったことを、ジョンは「罪」だったと述べている〔出典:〕。1997年発売の編集盤「レノン・レジェンド」以降作曲クレジットはジョン・レノンのみになり、著作権登録もジョン・ウィンストン・レノンのみになっている。 このシングル盤がリリースされた2ヶ月半のちにビートルズのアルバム『アビイ・ロード』が発売された。 なお、1990年6月28日、ポールは、ビートルズの故郷イギリス・リヴァプールでのコンサートでジョンへ捧げる歌として「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」〜「ヘルプ!」〜「平和を我等に」をメドレーで演奏した。ポールは本作をそれ以外にも幾度かライヴで採り上げている。「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」とメドレーで演奏することもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平和を我等に」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|