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平和台野球場(へいわだいやきゅうじょう)は、かつて福岡県福岡市中央区にあった野球場で、プロ野球3球団が本拠地としていた。1949年に建設され、1997年に閉鎖された。 ==歴史== ===ライオンズ時代=== 1948年、福岡県で第3回国民体育大会が開催された際、福岡市の中心地にある舞鶴公園(福岡城址、陸軍第12師団歩兵第24連隊跡地)に陸上競技場、球技場2面などを擁する平和台総合運動場が建設される。当時の連隊跡地はGHQに接収されていたが、国体の準備委員長を務めた岡部平太がGHQ相手に何度も折衝を行い、その際に「連隊跡地をスポーツによるPEACE HILL(=平和台)にしたい」と語ったことなどから接収は解除され、運動場が作られることになった。1949年12月18日に、球技場の1面(国体でサッカー競技が開かれた場所)を造り変えて平和台野球場が完成した。総工費は3000万円。 1950年にプロ野球に参入したパシフィック・リーグの西鉄クリッパースとセントラル・リーグの西日本パイレーツの本拠地球場となった。翌1951年に西鉄と西日本が合併してパ・リーグの西鉄ライオンズになるが、引き続き西鉄が本拠地とした。 開場当時はナイター照明がなく、試合中に日没になった場合は球審の判断により試合打ち切り(進行状況によりコールドゲームまたはノーゲーム)とすることになっていた。1952年の平和台事件をきっかけに1954年、ナイター照明を設置している。 1953年8月29日、中西太が本球場のバックスクリーンをはるかに越える推定飛距離160メートルの本塁打を放ったことで話題になった。1954年のリーグ初優勝から西鉄ライオンズの黄金時代が始まり、豊田泰光、中西太、大下弘、稲尾和久(1956年入団)らを擁したチームは1956~1958年に読売ジャイアンツを下し日本シリーズ3連覇を果たしたが、特に1958年は3連敗の後の雨天中止が引き金となり、奇跡とも言われた4連勝を果たした。 だが、本球場はスタンドが低い上に芝生(土盛)席も多かったため、優勝チームの球場にはあまりふさわしくないという意見が出てきた。1956年には球場改装を求める看板が球場前に立てられたり、ファンの署名活動が始まるなど球場改装への期待が高まった。そのため、1957年のシーズン終了後から全面改修工事を施し、スタンドの全面座席化を実施。1958年4月26日に竣工した(竣工が開幕日に間に合わなかったため、同年の開幕戦から数試合の西鉄主催試合は小倉市営球場(現:北九州市民球場)で開催〔小倉では小倉豊楽園球場時代から準本拠として年20試合前後行われたが、1965年は主催試合の半数にあたる35試合ずつ(年140試合中ホームは70試合)を平和台と小倉で分け合って開催した。〕)。総工費2億5000万円。 1969年に起きた黒い霧事件によって西鉄ライオンズは多くの選手が永久追放などの処分を受けたことで成績は低迷。西鉄は経営意欲を喪失していった。1973年、当時ロッテオリオンズのオーナーだった中村長芳によって西鉄球団が買収され「福岡野球株式会社」〔当時は本球場内に事務所があったが、福岡市から使用許可が出ていないという理由でクレームがつき、事務所は本球場のまま法人の登記上の本社を当時球団社長だった坂井保之の自宅(当時は福岡市にあった)に移したとされる。〕が設立。さらに球団の命名権が売却されて1973年~1976年は「太平洋クラブライオンズ」、1977年~1978年は「クラウンライターライオンズ」となるも黄金時代の輝きを取り戻すことができず、観客動員も大幅減少に陥る。1978年10月、福岡野球は西武グループに買収されて「西武ライオンズ」となり、本拠地を埼玉県所沢市の西武ライオンズ球場(現:西武プリンスドーム)に移転。これにより福岡を本拠地とするプロ野球球団がなくなった。「福岡のライオンズ最後の平和台の試合」は同年秋、シンシナティ・レッズを迎えた日米野球(対巨人・クラウン連合)として行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平和台野球場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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