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平塚城 : ミニ英和和英辞書
平塚城[ひらつかじょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [つか]
 【名詞】 1. mound 
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 

平塚城 : ウィキペディア日本語版
平塚城[ひらつかじょう]

平塚城(ひらつかじょう)は、武蔵国豊嶋郡東京都北区)にあった日本の城。別名は豊島城
==歴史==
「平塚明神并別当城官寺縁起絵巻」によれば豊嶋郡の郡衙があった場所に平安時代豊島近義が築城したと伝えられる。後三年の役の帰路に源義家義光義綱の兄弟がこの館に逗留し、手厚いもてなしに感謝した義家は鎧一領と十一面観音像を下賜した。後に、この鎧を城の守り本尊として埋めて塚を築いた。これを鎧塚(甲冑塚)という。また、この塚が高くなく、平たかったことから「平塚」の地名が生まれた、ともされている(しかし、実際には銀環が出土しており、塚は上古の古墳であった可能性が高い)。平塚神社は豊島氏が義家、義綱、義光の徳を慕って三人の宿泊の地に社を営み、影像を奉祀したことが起源とされており、このことから社は昔「平塚三所大明神」と呼ばれていた。甲冑の下賜は単なる伝説であるが、隣接地からは当時の奥州に通ずる道の跡が発見されており、そのため近年では「三人の宿泊自体は十分に有り得たのではないか」とも考えられている(シンポジウム『豊島氏とその時代』、葛城明彦『決戦』ほか)。なお、『桓武平氏諸流系図』には豊島清元の弟として「平塚入道」、後年の『豊島名字之書立』には「平塚豊後」の名が記載されているが、これらの人物と平塚城との関係は明らかではない。
室町時代中期頃に豊島氏は石神井城(東京都練馬区)を築いて本拠とし、練馬城・平塚城はその支城となった(ただし、平塚城については「豊島氏が西方に拠点を移して以降、滅亡直前に至るまで機能していなかった」とする説もある)。なお、近年までは「室町時代文明年間頃の城主は豊島氏当主泰経の弟の泰明」とするのが通説であったが、現在は研究者の間でも「不明」とされている(「泰経」「泰明」の名も、当時の史料には「勘解由左衛門尉」「平右衛門尉」との官途名の記述しかないため、実際そう呼ばれていたか否かは不明である)。文明8年(1476年)、泰経・泰明兄弟は長尾景春に呼応して関東管領上杉氏に反旗を翻し、石神井城、および練馬城(東京都練馬区)で挙兵した(長尾景春の乱)。文明9年(1477年)4月13日、江戸城太田道灌は泰明の立て籠もる練馬城に矢を撃ち込み、近辺に放火して引き上げた(なお、近年まで道灌が最初に攻めた城は「平塚城」とされていたが、現在は黒田基樹・齋藤慎一・則竹雄一・西股総生・伊禮正雄・葛城明彦・八巻孝夫・齋藤秀夫らの支持により「練馬城」が新たな通説となっている)。これを見た泰明は、泰経に連絡を取り全軍で出撃し、道灌の後を追った。さらにその知らせを受けた道灌も引き返し、豊島方を迎え撃ったため、両軍は江古田原で合戦となった((「江古田原の戦い」または「江古田原・沼袋の戦い」)。結果として、豊島方は泰明が討ち死にするなど惨敗を喫し、生き残った泰経と他の兵は石神井城に向けて敗走した(この戦いについては「道灌が少数で挑発行為を行い、豊島方を平場におびき出したもの」とする説が有力である)。その後、14日に道灌は石神井城近くの愛宕山(現・早稲田高等学院付近)に陣を張り石神井城と対峙、18日になってからは一旦和平交渉が結ばれた。しかし、豊島氏側が条件であった「城の破却」を実行しなかったことから、21日(または28日)に道灌は攻撃を再開、外城を攻め落としたため、泰経は同日夜に城を捨て逃亡した。翌文明10年(1478年)1月に泰経は平塚城で再挙するが、同月25日に再び道灌が攻撃に向かったため、またしても戦わずして逃亡、以後は行方不明となった。これにより豊島氏本宗家は滅亡、平塚城もその後使用されることなく廃城となった。
江戸時代にはいって将軍徳川家光の頃に神社は針医山川城官貞久によって再興され、家光から寺領50石の寄進を受けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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