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平塩熊野神社(ひらしおくまのじんじゃ)は、山形県寒河江市にある神社である。養老5年(721年)行基により勧請されたと伝わる古社である。 == 歴史 == 社伝によれば、養老5年(721年)行基により熊野三社を勧請して開山し、行基の高弟勝覚が別当として補佐したという。前九年の役に当たり、源頼義・義家が戦勝を祈願し、康平5年(1061年)田畑・山林と鏡二面を寄進した。また応徳3年(1086年)後三年の役の時再建されたという。 文治5年(1189年)寒河江荘の地頭となった大江氏(寒河江氏)から社領を与えられ、寒河江大江氏の譜代の家臣であった長崎中山氏の保護を受けた。中山氏は7000石と称する地域を有し、平塩熊野神社を祈願所として定め、北目(山辺町北垣)・高屋(寒河江市高屋)・伏熊(大江町三郷)に平塩熊野神社の分社をおいて郷の鎮守とした。元々は熊野三所権現にならい、護摩堂・内御堂・如法堂に分かれていたが、明応年間(1492年~1501年)に現在地に合祀された。 大江氏が滅ぶと中山氏は最上氏に属し、平塩熊野神社も最上氏の保護を受けた。最上氏改易後は幕府より149石余の御朱印地を与えられた。 明治に入ると神仏分離令により神社となり、村人の葬礼を担当する平塩寺(へいえんじ)を設立した。廃仏毀釈の際、十王像を隠匿するため裏山へ埋めた〔はじめ山中の白山堂に隠したが、発見を恐れて土中に埋めたともいう。〕といい、その後掘り起こされ祀られた。十王像2躯は痛みが激しかったことから、平成18年(2006年)から三か年をかけて京都国立博物館文化財保存修理所で補修が行われ、平成20年(2008年)帰還した。帰還の際には修復帰還祭が執り行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平塩熊野神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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