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平安女学院 : ミニ英和和英辞書
平安女学院[へいあん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
平安 : [へいあん]
  1. (adj-na,n,n) (1) peace 2. tranquility 3. tranquillity 4. (2) Heian era (794-1185) 
: [じょ]
 【名詞】 1. woman 2. girl 3. daughter
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
学院 : [がくいん]
 【名詞】 1. institute 2. academy 

平安女学院 ( リダイレクト:学校法人平安女学院 ) : ウィキペディア日本語版
学校法人平安女学院[へいあんじょがくいん]
学校法人平安女学院(へいあんじょがくいん、英語名:St. Agnes' School)は、大学短期大学高校中学校幼稚園を運営する学校法人聖アグネス(St. Agnes)を守護聖人とあおぐ。米国聖公会から派遣された教師によって開かれたキリスト教主義学校(ミッション・スクール)である。本部は京都府。略称は平女。
== 沿革 ==

=== 略歴 ===
起源は1875年、米国聖公会から派遣されたアメリカ人教師のミス・エレン・ガードルード・エディが、当時手伝っていた男子学校に英語を習いに来た女子生徒を引き取って始めたMiss Eddy’s School(エディの学校、またはエディ女学院)である。1880年、名称を照暗女学校(英語名:St. Agnes’ School)と改めた(照暗の出典はヨハネによる福音書1章5節の「光は暗きに照り、暗きは之をさとらざりき。(明治元訳)」である)。
1894年、京都への移転のため16人の生徒を立教女学校へ転校させ一時閉校となった。
1895年、現在の名称である「平安女学院」を名乗り再出発する。
日中戦争が始まり、戦争の拡大が濃厚になってくると学院の外国人教師も相次いで帰国し、1941年には京都教区のニコルス主教も帰国することとなった。この際、ニコルス主教が学院の土地、建物を日本聖公会へ寄付したため財団法人となる。他にも帰国した教師と牧師たちが多数の書物を学院の図書館に寄贈した。
戦後は、1947年平安女学院中学校を設置、翌1948年平安女学院高等学校を設置、さらに1950年に専攻部を昇格させ平安女学院短期大学を発足させていき1951年学校法人となる。
1987年短期大学と幼稚園を大阪府高槻市へ移転(高槻キャンパス)
2000年平安女学院大学を設置するが、2005年に守山キャンパスを閉鎖、高槻キャンパスに統合移転した。また2007年には京都キャンパスに国際観光学部が開設された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「学校法人平安女学院」の詳細全文を読む




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