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平山 復二郎(ひらやま ふくじろう、1888年(明治21年)11月3日- 1962年(昭和37年)1月19日)は、日本の鉄道省官僚、土木工学者(工学博士)。鉄道省建設局長を最後に退官し、第44代土木学会会長や日本技術士会会長、パシフィックコンサルタンツ社長、ピーエス・コンクリート社長などを歴任。1957年の技術士法制定に奔走し、建設コンサルタント制度の確立に貢献。また、新幹線計画では幹線調査委員会委員としてその実現に貢献した〔鉄道の近代化と新幹線 汽車の今昔19 〕。勲三等。墓地は谷中霊園〔谷中・桜木・上野公園裏路地ツアー 平山復二郎 〕。 ==来歴・人物== 東京市生まれ。麹町小学校、府立一中(現・都立日比谷高校)、第一高等学校 (旧制)を経て、1912年東京帝国大学工学部土木工学科卒業。高等文官試験行政科に合格し、帝大卒業後鉄道院に入院。1920年から工務局配属となり、米国・英国・スイスなど欧米諸国に留学。帰国後の1924年には帝都復興院に出向し、土木部道路課長として関東大震災直後の道路復興に尽力した。また、都市計画に区画整理を導入し、隅田川架橋工事にケーソン法を採用するなど、東京都都市計画の礎を築いた。1931年、鉄道省熱海建設事務所長として丹那トンネル建設に関わり、湧水や断層のなか難工事を指揮した。その後は仙台鉄道局長を経て、1937年鉄道省建設局長を最後に同省を退官した。南満州鉄道株式会社理事、満州電業株式会社理事、満州土木学会会長などを歴任。戦後は、第44代土木学会会長や日本技術士会会長、パシフィックコンサルタンツ及びピーエス・コンクリート社長、日本技術士会会長などを務めた。また、「新幹線計画」では幹線調査委員会委員としてその実現に貢献した〔鉄道の近代化と新幹線 汽車の今昔19 〕。妻は、東京帝国大学総長や理化学研究所初代所長などを務めた菊池大麓の四女・英子。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平山復二郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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