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平岡万次郎 : ミニ英和和英辞書
平岡万次郎[ひらおか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [よろず]
  1. (adv,num) 10,000 2. ten thousand 3. myriads 4. all 5. everything
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

平岡万次郎 ( リダイレクト:平岡萬次郎 ) : ウィキペディア日本語版
平岡萬次郎[ひらおか まんじろう]

平岡 萬次郎(ひらおか まんじろう、万延元年3月8日1860年3月29日) - 大正12年(1923年12月3日)は日本弁護士政治家。元衆議院議員。兵庫県平民〔『人事興信録. 4版』(大正4年)ひ三〇〕。
内務官僚平岡定太郎の兄。定太郎の孫に作家・三島由紀夫、外交官・平岡千之がいる。
== 経歴 ==
万延元年(1860年)、播磨国印南郡志方村上富木(現在の兵庫県加古川市)の農家に生まれた。父・太吉と、母・つるの長男。
15歳まで、皇道精神を基調とする鼎(かなえ)塾に学ぶ〔野坂昭如『赫奕たる逆光』127頁〕。ここでは忠君愛国の講話が行われた〔。萬次郎はやがて姫路洋学塾へ進んだ〔。
上京し、明治14年(1881年明治法律学校(現在の明治大学)に入学し、明治16年(1883年)卒業〔「近代デジタルライブラリー - 衆議院議員列伝」551頁 〕、更に専修学校(現在の専修大学)を卒業。東京京橋区弁護士事務所を開業する〔野坂昭如『赫奕たる逆光』128頁〕。
のち石川県専門学校講師となり、明治21年(1888年)まで教鞭を執る。同年、再び東京で弁護士に戻る。
明治31年(1898年)、郷里から衆議院議員に当選する。進歩党に入り、その後、引き続き4回当選する。
大正12年(1923年)2月3日、東京で死亡。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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