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平岡 秀夫(ひらおか ひでお、1954年1月14日 - )は、日本の大蔵官僚、弁護士、政治家。 衆議院議員(5期)、内閣法制局参事官、内閣府副大臣(菅内閣)、総務副大臣(菅第1次改造内閣・菅第2次改造内閣)、法務大臣(第88代)、民主党総務委員長などを歴任。 == 来歴 == 山口県岩国市生まれ。山口県立岩国高等学校、東京大学法学部卒業。東大在学中の1975年10月、司法試験に合格した。東大卒業後、大蔵省に入省。東海財務局や国税庁、東京国税局、在インド日本大使館一等書記官、内閣法制局参事官等を経て1998年に退官。退官後は山口県(後に広島県)で弁護士登録〔弁護士法第5条の特例措置により司法修習を経ずに法曹資格を取得している。〕し、岩国市で平岡秀夫法律事務所を開設した。1999年4月、岩国市長選挙に無所属で出馬したが、岩国高校の同窓生である井原勝介に敗れた。 2000年、第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で山口2区から出馬し、一部の保守系地方議員の支援も受けて自由民主党の佐藤信二元通産相らを破り初当選した。2003年の第43回衆議院議員総選挙でも佐藤らを破り再選。 2005年の第44回衆議院議員総選挙では、山口2区で自民党新人の福田良彦に惜敗し、重複立候補していた比例中国ブロックで復活し、3選。2008年、福田が岩国市長選挙に立候補するため衆院議員を辞職したのに伴い、平岡も一旦議員辞職し、補欠選挙への出馬を表明。平岡の議員辞職に伴い、比例中国ブロックで和田隆志が繰り上げ当選した。補選では自民党新人の山本繁太郎を下し、2年半ぶりに山口2区の議席を奪還した。比例復活した衆議院議員が議員辞職して衆議院補選に立候補をした事例は平岡以前には過去に2件〔2002年、福岡6区の古賀一成・2004年、埼玉8区の木下厚。〕あるが、いずれも落選しており、当選した例は平岡が初〔2010年、小林千代美の議員辞職に伴う北海道5区補欠選挙に比例北海道ブロック選出の町村信孝が出馬し、当選した。〕。2009年の第45回衆議院議員総選挙では再度山口2区で山本を破り4選。 2010年6月、菅内閣で内閣府副大臣・国家戦略室長に就任。同年9月、菅第1次改造内閣で総務副大臣に任命され、菅第2次改造内閣でも再任された。 2011年8月19日、民主党代表選への立候補に意欲を見せ〔日テレNEWS24 2011年8月19日〕25日に行われた立候補予定者への事前説明会に出席した〔毎日jp 2011年8月25日〕が、翌26日に出馬を断念した〔毎日jp 2011年8月28日〕。 2011年、野田内閣で法務大臣に任命され、初入閣した。しかし就任後間もなく、前科を有する人物の法務大臣秘書官への起用などが問題視され、2012年1月の野田改造内閣発足によりわずか4ヶ月で法務大臣を退任した。後任の法相は同じ菅グループ所属の小川敏夫。同年1月24日、民主党総務委員長に就任。 同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では自民党新人の岸信夫に山口2区で敗れ、比例復活もならず議席を失った。 2013年4月11日告示、同4月28日投票の参議院山口県選挙区補欠選挙に立候補。民主党の公認は受けず、無所属で出馬した〔 平岡前衆院議員公認を民主見送り、参院山口補選 読売新聞2013年3月21日〕。民主党のほか、「『穏健保守から中道・リベラルまで』の政治勢力の集合」の呼びかけに応じたみどりの風が推薦し、社民党も支持を表明〔 みどりが平岡氏推薦=社民は支持-参院補選 時事通信2013年4月3日〕。また、前回の衆院選に山口1区から出馬した飯田哲也らが政策アドバイザーを務める日本未来の党の推薦を取り付けた〔 【推薦】参院山口選挙区補選(4/11告示、4/28投票)で平岡秀夫さんの推薦を決定 〕。その一方で民主党県連の主要な支持母体である連合山口は推薦ではなく「支持」に留まった〔 平岡氏「無所属」戦術裏目 崩れる民主支持層 MSN産経ニュース2013年4月7日〕。選挙の結果、129,784票(得票率28.6%)にとどまり、6割以上の得票を集めた自民党新人の江島潔に敗れ落選した〔自民新人の江島氏が当選確実…参院山口補選 読売新聞 2013年4月28日〕。 2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙では再び岸信夫に山口2区で敗れ、落選。 2015年5月30日、民主党山口県連定期大会をもって県連代表を退く。これをもって、政治家としての活動を一区切りし、以後は東京を中心に弁護士活動をしていくことを表明した〔 平岡秀夫 Facebook 5月30日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平岡秀夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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