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平岩 元重(ひらいわ もとしげ、天文3年(1534年) - 元和5年8月13日(1619年9月20日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。東条松平家家臣として、松平忠茂、家忠 (甚太郎)、忠吉に歴仕し、また初代尾張藩主の徳川義直にも仕えた。平岩張元の子。通称は権太夫。 * 以下、特に但し書きのない月日は旧暦表示。 == 概要 == 平岩元重は尾張清洲城では留守居役を勤める。その以前、三河在住時代に日近城の戦い、藤波畷の戦い、三方ヶ原の戦い、鳶ヶ巣山の戦いなどの徳川氏の主要な戦いに参加し、数多くの戦功をあげた。しかし、天正18年(1590年)8月朔日、徳川家康の関東入りに際しては三河国の自領に残留を主張して家康の勘気を受け改易となったため、後に勘気は解かれ家康四男松平忠吉に付属されて再仕官したものの、知行150石・清洲城留守居役に終わり〔下記参考文献の1、「慶長十二年、松平忠吉家中分限帳」 133頁。〕、家康の近従出身で犬山城主12万3千石の大名格にまで昇った同族の平岩親吉とは対照的な処遇となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平岩元重」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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