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平島 義宜(ひらしま よしのり〔笠谷和比古 『主君「押込」の構造 近世大名と家臣団』 講談社学術文庫 2006年 ISBN 978-4061597853 40pには「義宣」と書かれている。〕)は、江戸時代中期の足利氏の支流で、8代平島公方。7代平島公方・平島義武の嫡男。石高は140石、後に1190石。 == 経歴 == 蜂須賀家に微禄しかあてがわれず、生活は困窮していたが、漢詩など学問好きで、博山と号する。このために藩主蜂須賀重喜に加増を求めたが、藩政改革の途中ということもあってか拒否される。宝暦11年(1761年)に重喜が江戸に参勤交代で上府した際、藩重役に再度加増を求めたが、やはり拒否された。しかし明和年中に現米950石を加増されて、1190石となる〔『姓氏家系大辞典 第三巻』の平島氏の項より〕。 京の儒者島津華山を招聘し、館内に「栖竜閣」を設けて住まわせ、一族家臣や近郷の同好の士とともに彼に師事した。長男の義智が宝暦12年9月21日(1762年)に30歳で義宜より先に没したため、次男の義根の教育を崋山に託した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平島義宜」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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